私は、「うらやましい」という言葉を、ときどき言われる。そして、その度に、モヤモヤする。


それは「うらやましい」という言葉の裏に、「あなたは、何の努力もしていないのに、たまたま運が良いだけで、幸運を手にしてずるい!」と言われているような気持ちになるからだ。


それは、昔、銀座の賑わいを見て、祖母が言われた言葉「東京のヤツらは、毎日遊んでばかりいやがって。」を、言われたときに感じたであろう気持ちと似ているように思う。


「いや、ここにいる人は毎日同じでは無いのよ。一生に一度遊びに来た人かも知れない。他の人から見れば『遊んでいるばかりいる東京のヤツら』に、ここに初めて来たあなた自身も、見られているのよ。」


側から見ると、どんなに幸せそうに見える人でも、辛さや苦しみを抱えているし、それが深いほど他人には言えないということを、皆んなが少しずつ、想像力を働かせられたら…。




そう言う私も、以前は相手を誉める意味で、使っていたことは有った。相手も「うらやましい」と言われて、まんざらでも無いと思える状況かな、と思ったときには。


でも、果たしてそうだったのかな、もしかしてそう言われたことで、相手を嫌な気持ちにさせていないかなと、不安になって来た。


最近は、なるべく他の言葉に言い換えるようにしている。「すごいねラブ」「素晴らしいねスター」などだが、それも、言い方で、相手がどう感じるかはわからない。


そんなことを考えるようになったのは、私がある抗がん剤を使えることに、使えない人からうらやましいと言われたとき。もちろん、言った人も深い意味で言ったわけでは無いだろう。


いや、それもわからない。「私が元気でいることが、後からがんになった友人に、に少しでも勇気を与えられたら。」なんておこがましくも思っていたけれど、私は、ブログでもリアルでも、先輩方から勇気をもらっていたけれど、必ずしもそうで無い人も居るのだ。


影響力のある立場の方々は、うらやましいなんてオブラートに包まれず、もっとストレートに、もっときつい場面で、言われることも有るだろう泣くうさぎ


笠井信輔さんのブログ



この本の最初を読んで、泣いてしまった。





言葉の使い方は難しい。「頑張れ」という言葉一つにしても、言われて、かえって辛いか、頑張れるかは、状況により異なる。


そんな中、最近、私は、ある友人から、「うらやましい」という言葉を使われて、はじめてとてもうれしいと思った。


それは、遠方で、今はもう10年以上も会えていない友達から、明日別の友人に会うという話をしたときに言われた言葉。


「あなたに会えるその友人がうらやましい」


こんな使い方が有ったんだ。「あなたに会える人がうらやましい。」妬みでも嫉みでも無い、私はあなたに会いたいという言葉をこんな風に修飾出来る「うらやましい」。


私も、こんな言葉の使い方が出来る人間になりたいと思った。



クローバークローバークローバークローバークローバークローバークローバー


今日も皆様が小さな幸せを見つけられますようにクローバー