一人で出かけられるようになった
もう50代、十分大人なのにこんなこと書くのもですが最近、やっと自分が行きたいから行く自分がその場所を体験したいから行く食べてみたいから食べるという、当たり前のことができるようになりました今までは、どこに行っても恐怖がつきまとっていて変にみられてるのではないか私、浮いてるのではないかメイクがちゃんとできてないとか他の人の目を気にする行きたいところにいったとしても緊張してるから自分の体験に集中してないし行くことは挑戦だったでも、今、ただ行きたいからいくができるようになってふと、鬱がいま治ったんじゃないかこれがうつが治ったことじゃないかなって自分の中で思いました外の世界に無意識に恐怖があって身体を固くして、小さくして生きてきた最近、リラックスして生きれるようになって身体をガッチガチにして出かけたらすぐ疲れちゃってた私は外の世界は敵だと思っていて怖かったし傷つきたくなかったし自分を守っていたんだとわかったふと、今朝不思議だなーって思った自分が傷つかないように守ってきてたのに外の世界で起きていたのは急に怒鳴ってくる人に会ったりタイミングが悪いことが起こったりなんで、私はこんなことばかり起こるんだろうってでも、今外でも自然にリラックスして自分の気持ちに正直になってそれを外に現すことが大丈夫なことだってわかるようになってあー、身体をがちがちに固めなくても、人を意識して見張ってなくても私は安全で、安心の場所にいられてる身体を固めて守ってた時の方が生きづらかったなんて不思議だなってテレビみたり、何かをみてやってみたいなーと思ってもいろんな不安が出てきてやっぱりいいかって忘れてたこと最近、気が合ってよく会う友人もそこ行きたかったーと不思議と行くことが多くなって昔の行きたいを回収しているようです私のやりたいこと100のリストには一人でいろいろできるようになると書いていて、友人と行くのも楽しいですが一人でもやっぱり行きたいなって先日も、友人と1日出かけて疲れて明日はゆっくりしないと思っていましたが思考は、疲れていると感じていてでも、身体に意識を向けてみたらスッキリしている感じ!今日、ラベンダー畑行ってこようって一人でいけました一人で出かけてる人なんてたくさんいるのに恥ずかしいけどでも、挑戦じゃなくただ行けたことがうれしいです安全安心の中で生きてるから人の目を気にしなくてよくなって疲れにくくなってると思います私にとって、この変化は大きいもので敵の中に生きてきた15年ぐらいの間に付けてしまったくせそれに気づいて、外していきたいと思います少し前なら誰か誘える人いないかなという流れから誘おうとも考えずいつ行こうかなになっていますこんな状態になれたことが不思議です今まで、何をするにも足りないからこれをしたいこれをしたら、満足した自分になるかもと欠けた場所からの出発点でも、それが、やろうという気力にもなってただけど、今は、自分のままでいいこれは負け惜しみではなく思えるようになってるだから、何かするにもただやってみたいからという、満ちた場所からの出発点どうやったら欠けた出発点じゃなくて満ちたところから出発できるのかって思ってたけど自分でいられるようになったらそうなれた社会的にまったく何者でもなくてだから、人から見たら何もない人だと思うのですがでも、それについて自分責めや焦りがあまりなくなりました(呼吸が浅いと自分を責めて人との比較に没入してしまいますが)この場所から地球を体験していきます