合唱団員は、所詮は歯車なのでしょうか。

自分が合唱をする目的が見えなくなってきました。

日々のハーモニーを楽しむのであり、
ステージはおまけかなとも思っていました。

ただ、昨日見たDVDでは、夏のチャリティコンサートは
「黒子」あるいは、「声優」として存在しただけ。
客席から見えなかったということは、
私の声としては認識してもらえなかったということですね。

言い換えれば、そこに参加したのかどうかもわかってもらえない。

自分では歌ったことは確かです。
たしかに歌いました。

他者からは、存在していなかったのに等しい。
そう考えると、ステージにいなかったことと同じになることであり、
正直言って、凹みます。
やりがいが実感できません。

100人いて、第一ステージも第二ステージも映っていないのは、
私だけかと思うと、さらに虚無感が増しますね。

この半年間は、何だったのでしょうかね。
毎回の練習は充実していた気がします。
最後に報われませんでした。

見返りを望んではいけません。

ただ、ステージに上がれば顔が映るは、見返りでもなんでもないですよね。
最低限確保されるべき権利でしょう。
ステージから顔が見えるということが保証されていると思うから、
練習にも参加しています。
その練習も、ステージが最終目標ですからね。
その晴れ舞台で、お客さんから見えなかったと思うと、
テンションはガタオチです。

何のために歌っているでしょうか。
ステージだけではありませんが、
本番のステージは一番大きいですね。

歯車だったのかな。

歯車になれただけでも、なれないよりはいいですが、
歯車以上の存在にはなりたいなあ。