赤緋の扉 攻城戦の歴史 改訂版(2005年8月~2010年6月1週まで) | マックじゃないです。マクドです!

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オンラインゲーム「リ・ミックスマスター」のブログです。

紅葉の扉の攻城戦の推移などを中心に書いていこうと思います。


※当ブログはリンクフリーです。リンクはご自由にどうぞ。

以前に書いたものを見直し、大幅に加筆、修正したため再度投稿させてもらいます。

開始から7年経つことであるため、間違っていることもあるかと思われますが、その都度修正していきたいと思いますので、何かあればご指摘いただければ幸いです。




2005年の8月からスタートした赤鯖の攻城戦。

当初テストサーバーを用意し、儀式時間は5分だったのが、テストの結果現在の3分に変更されて始まりました。

始めはバグも多く、攻城戦が終わる度にメンテナンスが繰り返されて、満足にプレーができるまで1ヶ月以上かかりました。

それでも開始当初からノーアップデートが続くMMの久々のアップデートであり、長らく望まれていた攻城戦であったために、マジリタ城は活気があり、申請枠もすぐに埋まる状況で、そのうち各ギルドサブギルドを用意するようになり、攻城申請は攻城終了後のコンマ1秒の申請合戦に発展して行き、なかなか新規ギルドは参加できない状況でした。

当時のマジリタ城は現在のような柵は存在せず、また祭壇内部左奥にPvP不可ゾーンが存在していおり、そこに逃げ込んで人数が集まってから攻めこむという橋頭堡としての役割を果たしていました。


当時の有力ギルドは、存在の証明、隼GUILD、Apocalypseの3ギルドが他に比べて飛び抜けて強く、この3ギルドを中心に城主を奪い合う様相を見せていました。

そしてこの中で一番有力なギルドは、攻城戦実装を見越して開始前から牙を研ぎ澄まし、レベル上げをしていた存在の証明で、次点が存在の証明と開始前から牽制しあっていた隼GUILDでした。

Apocalypseは個々のメンバーは強かったのですが、組織的に動くという点で上記2ギルドに劣っていたため、攻城戦においてはこの2ギルドの後塵を拝す形となりました。


この頃の攻城戦はまだ二次スキルも無く、単体スキルのみの下段もハイパーヒットアップしかない状況だったため、メイト戦はなかなか死なない白熱した戦いが演じられ、儀式についても今のような重なり儀式も発見されていなかったため、儀式方法を模索する状態でした。

そんな中最初に流行った儀式のスタンダードな方法は遠距離攻撃ができるキャラの攻撃範囲+1マスにギルマスを壁につけて四角く囲う方法でした。

その後存在の証明が重なり儀式を編み出すと、儀式の主流は重なり儀式中心となり、今と違って二次スキルもなかったために、上の人が耐えれば儀式が成功してしまい、引っ張りキャラ、重なりキャラ、ギルマスの3人いれば取れる状況でした。

そのため存在の証明の分派であった青雲の志などの少数ギルドでも、簡単に城を奪取することが可能でした。


終盤重なり儀式をすれば何の問題もなく城を取れるようになったため、その矛盾点を解消するためにその後二次スキルができ、状況は一変します。

重なりの上が耐えてもギルマスに攻撃が当たる状況になったため、この後攻城戦は人数が必要な戦いへと変わっていきました。


時間の経過とともにギルド状況にも変化が生じ、3強の一角であったApocalypseは消滅し、主要メンバーはGUILD_Cに移ります。

これによって存在の証明と隼GUILDの2強時代が続きますが、黒き翼の天使、To The Sky!などの第三勢力が台頭し、拮抗した戦いを見せていました。


2006年までは存在の証明、隼GUILDのどちらかが一定期間取り続ける状況が続き、存在の証明が優勢な時期、隼GUILDが優勢な時期があるという流れになっていました。


しかし2007年に入ってからは存在の証明が優勢な時期が続き、圧倒的な強さを誇る存在の証明に他ギルドが同盟を結んで戦うというスタイルへと変わって行きました。

これにより攻城戦は次第に勢力vs勢力という構図へと変化し始めました。



存在の証明は時折イベントみたいな感じでギルドを変えたり分裂することがあり、その中で生まれたギルドが新生修羅、All-Star、くりむぞんなどでした。

これらのギルドには他のギルドからも加入しているため何とも言えませんが、便宜上一部を除き存在の証明の名称で統一します。


そしてこの頃の強豪ギルドは、AngelPartyと浪漫飛行の合併ギルドAngelFlight、AngelStarsを経て、さらなる合併ギルド禾口が勢力を伸ばし、攻城戦の有力ギルドとして強さを誇るようになり、隼GUILDと連携して存在の証明と対抗します。

この頃の隼GUILDの同盟勢力は禾口に加え、HEART、PEACEで、存在の証明にはGuild_Cが付く形で数の上では隼GUILD側が勝るも、2007年は存在の証明側が優勢な状況が多かったようです。


2008年に入ってからは再び隼GUILDが盛り返し、同盟ギルドと共に存在の証明の城主を阻むようになります。


この当時はジェネシス、画竜点睛、Broadwayが隼GUILDに次ぐ新規勢力として台頭しだし、存在の証明と対抗するようになります。

そして上記3ギルドは隼GUILDと連携して、2008年後半頃から城主を奪取するようになります。

この隼GUILDの同盟勢力の成長とアンチ存在の証明の流れから、存在の証明は次第に劣勢に立たされ、城主から遠ざかることとなります。


またこの頃に後の攻城戦史上に最強ギルドとして名を残すDreamerを牽引する課金者が多く所属していたChromeHeartsが誕生し、この頃初めて販売されたくのいちの鎧を使って攻城戦に参戦し存在の証明、隼GUILDの2大勢力から城主を奪うようになります。


そんな混沌とし始めた状況の中、2008年10月に第二の城であるメクリタ城が実装されます。

メクリタ城は忘メクリタ南部にあったため、移動のロスがマジリタ城に比べて多く、そこが勝負の分かれ目となる城でした。

2城同時開催となったことで戦力は分散し、やがてマジリタは存在の証明、メクリタは隼GUILDという風に2強が住み分ける状況が確立されました。

この当時のメクリタ城は参加ギルドのほとんどが隼GUILDの同盟勢力で占められていたために、激しい戦いがあったのはマジリタ城が中心でした。


そしてこの時期台頭し始めた新勢力がAzureMoonでした。

AzureMoonは戦力的にはマジリタ城の有力な参加ギルドに比べて若干劣るものの、アンチ存在の証明の流れに乗っかり、BroadWayや画竜点睛などの支援を受けて城主をとるようになりました。


2009年に入ると、タイタン鎧の販売や、課金装備ががらっちゃで次々と販売されだし、これによってそれまでのゲームスタイルが大きく変わり始め、攻城戦は課金者による一騎当千のスタイルへと次第に変化をし始めました。


2008年後半にこの課金力の力で躍進したChromeHeartsでしたが、2009年に入り解散し、その主だった戦力はSupremeを経てDreamerへと流れていきました。

このDreamerにChromeHertsの強力な課金戦力が加入することでこの後の攻城戦の戦況は一変してしまいます。

ChromeHearts、Supremeはまだ攻城戦に積極的な感じではなかったのですが、Dreamerになり攻城戦へ積極参加するようになりました。

そして元々隼GUILDから分裂したDreamerは打倒隼GUILDのために、メクリタ城へと進出しました。

最初の方こそ隼GUILDの強さの前に敗れることがあったものの、強力な課金戦力の毎週尽きない課金鎧の前に、1月もしないうちにDreamerが勝利するようになり、これ以後メクリタ城を独占するようになります。


この状況によりメクリタ城はDreamervs隼GUILDを中心としたその他全勢力という形になり、争われるようになりますが、Dreamerが圧倒する展開が続き、これ以後隼GUILDは衰退の一途を辿ります。


一方マジリタ城では画竜点睛、AzureMoon、存在の証明、ARADNOHAが城主を争うようになり、毎週どこが城主になるかわからない展開が続きます。

これに加えてRUSH、桜◆花、To_The_Sky!なども台頭し始め、存在の証明勢力とアンチ存在の証明勢力の戦いに加え、第三勢力がカギを握る戦いとなる展開が続きました。


2009年の中頃から儀式方法に死体儀式という新たなスタイルが誕生します。

これを初めて成功させたのがRUSHでしたがその時はまだ不完全なもので偶然という感じでしたが、その後これを完成させていつでも使えるようにしたのが桜◆花とAzureMoonでした。

この頃から画竜点睛が衰え始め、AzureMoonとRUSHの同盟勢力が存在の証明、桜◆花の同盟勢力との戦いが主になり、これにTo_The_Sky!が第三勢力として参戦し、これらの勢力でマジリタ城を奪い合うようになります。


2009年8月頃まではマジリタ城はこの展開が続きますが、この後メクリタ城を完全制圧したDreamerがマジリタ城にも進出するようになります。

この頃のメクリタ城はDreamerの毎週続く課金戦力の圧倒的勝利により、隼GUILDが撤退してしまい、メクリタ城は参加者がほとんどいない状況となってしまいます。

これにより余剰戦力が続々とマジリタに進出し、その課金戦力の強さでマジリタ城も奪取するようになるのに時間は掛からず、マジリタ、メクリタの両城の独占が続くようになります。



課金鎧実装後わずか1年でゲームバランスが大きく狂ってしまう状況に陥ったため、次第に課金を排除した城が求められるようになり、それに応える形で2009年7月にチェセバ砦が実装されました。

課金無しの城のため、当初から参加人数が多く、祭壇内部でも死なないために、祭壇内では激しい儀式合戦が繰り広げられました。

そんな中初代のチェセバ城主に輝いたのは存在の証明でした。

ですがこれを最後に存在の証明の勢力は衰えていきます。


翌週からはAzureMoonが台頭し、チェセバ砦では同盟と連携で勝るAzureMoonの時代が続くかと思われました。

チェセバ砦は連携力と対人技術重視であったため、当時のDreamerは課金に頼る部分が大きかったため、人数はいたものの、その頃はまだ城主を奪うには至りませんでした。

しかし転機がすぐ訪れます。

当時人数が増え続けていたDreamerはその人数を活かし、現在は定番となっている虫とりイベントで、ギルメンの多くにバッピョの鎧と虫の粉を取らせて祭壇内部での殴り無双を実現し、さながら土曜の城を思わせる圧勝を見せるようになります。

隼GUILD、存在の証明の2大勢力の衰退により、他にそこまで組織的に行える勢力は当時存在せず、その頃からDreamerの3城独占状態が始まります。

このように圧倒的な勝利が続くようになったため、次第に長らく争い続けた存在の証明と隼GUILDといった同盟勢力が争うことは無くなり、攻め側全ギルドvsDreamerという構図となっていきました。

そのような状況でも当時破竹の勢いで成長を続けるDreamerは、新規加入者や他勢力からの移籍が相次ぎ、画竜点睛、隼GUILDなどの有力ギルドからの移籍もあって戦力を増強し、人数的にも、レベル的にも、操作においても最強のギルドへと変貌を遂げました。


組織力に勝るDreamerは、さらにサブギルドを大量に用意し、いつもどの城の枠も3~5枠、多い時は6枠占有する状態を続け、対抗勢力をほとんど参加させない状態を作り出すことで、連携すれば勝負になるものの単一ではDreamerに遠く人数が及ばない対抗勢力の人数を削りとり、戦いを有利に展開し続けました。

また、チェセバ砦ではさらに万全を期すために、当時入り口でログアウトしても復帰地点に飛ばされない仕様であったため、追加禁止アイテムに設定した虫の粉を持たせたキャラを事前に入り口に配置し、開始後そのキャラから虫の粉を受け取って利用するというバグ技をDreamerが使い続けたために、それを使えない他ギルドの反感を買うようになりました。


その後もDreamerの勢力は衰えず、旧RUSHの勢力などを取り込みさらに拡大を続けました。

そしてこの頃からDreamerにとって追い風となるようなアップデートが続くようになります。

まず2009年末頃、それまで緑鯖などで問題視されていた城の安全地帯に移動する儀式を禁止するために、安全地帯を封鎖してしまいます。

その理由は4年間放置していたバグを修正するためで、仕様だと思っていたため橋頭堡として使われていたこのスペースはこれ以後使うことができなくなり、その戦術も当然使えなくなったために、祭壇内部で戦力を分散せざるをえなかった状況が、祭壇内部前だけを警戒するだけで良くなりました。

またこの時期はこれによって祭壇内のマップが少し狭まることとなりました。


2010年に入っても、ほとんどの週でDreamerが城を占有する状態が続くようになり、マジリタ城でもとうとう攻め側が過疎る事態が生じ始めました。

この頃は対Dreamerの筆頭としてAzureMoonが抵抗を続けるも、その他のギルドは数人が参加する程度になってしまい、Dreamerに人数の上でも対抗できなくなってきます。

一時期AzureMoonや桜◆花がマジリタ城を取ることもありましたが、自力で大きく水をあけるDreamerがすぐさま取り返し、再び独占状態が続きます。


Dreamerの圧倒的優位が続く中、さらに城主有利なアップデートが続きます。

それは柵の設置と死体儀式を使用不可能にしたというものでした。

柵に関しては当初の柵は多すぎたために不評過ぎてさすがに減らさざるを得ませんでしたが、それでも城主側にとって防衛しやすい状況を作り出すには十分でした。

枠の設置で移動儀式ができなくなったために、かつての安全地帯に入れるようになりましたが、PvPゾーンに修正され、ここを橋頭堡として戦う戦術は結局二度と使うことはできませんでした。

そしてさらに追い打ちをかけるようにわざわざ金曜日に臨時メンテを行い死体儀式を使用不可にしました。

これまで圧倒的課金戦力を有するDreamerに資金力で劣る対抗勢力がたまに城を取れたのはこの儀式方法のおかげが大きかったため、これを封じることによりマジリタ、メクリタの城は城主変動がさらに起こりにくい状況となりました。

チェセバ砦に活路を見出そうとするも、先に述べた追加禁止アイテム持ち込みのバグは修正されず、さらに以前のイベントでの無料がらっちゃの変身を温存したキャラを多く有するDreamerがそれを使い続けることで、Dreamer優位なバグは修正されなかったため、圧勝が続くようになりました。

こういった事象により攻め側ギルドには不公平感が漂い、参加者が減り始め過疎化が進むも、それでも土曜の攻城戦よりはマシだったこともあって、チェセバ砦の人数は多かったために月に1度ぐらいはAzureMoonが奪取するという展開で推移して行きました。

最後の週の赤鯖においてはチェセバ砦をAzureMoonが奪って幕を閉じましたが、依然としてDreamerが最強ギルドとして圧倒的優位を築いた状態で赤鯖単独での攻城戦は終了することとなりました。





こうして振り返ってみると赤鯖の攻城戦は、最初の3年は存在の証明と隼GUILDの2大勢力を中心とした戦いが続き、新興勢力はそのどちらかに付いて戦い、攻城戦に名を残していったイメージです。

それが4年目に入り、これら2勢力に加えて、画竜点睛やAzureMoonなど第三、第四勢力が単独で城をとれるぐらいの勢力に成長してきたところで、攻城戦のスタイルが課金絶対主義へと変わり、ここでDreamerが台頭。

残りの1年は課金力を背景に圧倒的強さを誇るDreamerが既存ギルドを完膚無きにまで叩き潰すという構図が赤鯖の攻城戦の流れだったと思います。


長年続いていた存在と隼という2大勢力の争いの構図を変えたのは課金装備の登場が大きな要因だったと思われます。

もしかすると課金装備が無ければDreamerもここまで急激に強くならず、ずっとこの2勢力の戦いが続いていたり、これらに対抗する第三勢力としてDreamerの躍進時期と成長期がかぶってしまったAzureMoonがもっと城主をとっていたかもしれません。


攻城戦が過疎るというのは10枠しかなく申請合戦が繰り返されていた当時にとってはとても考えられないことでしたが、資金力の差がそのまま力の差に表れるようになった2009年以降はそれも仕方ないと思わされる展開が続きました。

これによって攻城戦のバランスというものが議論されるようになったのもDreamerの台頭によるものが大きかったと思われます。

一勢力が過大に強くなると残りの勢力が共闘し、その勢力の連勝を阻止しようとする動きが自然と発生し、流れはあったものの攻城戦の均衡は保たれてきました。

そうやってバランスをとられてきた攻城戦は、多くの戦術を生み出し、戦略の幅を広げてきたと思われます。

それが課金力の一点のみで戦局を左右できるようになったことで、資金力を背景に最大勢力へと躍り出たDreamerに既存勢力が共闘するものの全く歯が立たないという状況が生み出され、今まででは考えられなかった大幅な格差が生まれてしまいました。

課金力が戦力の最大のファクターとなったことで、その課金者個人の欲求は満たすことができ、運営も資金的にも潤った反面、そういった戦術や戦略の入り込む余地が狭まってしまい、結果的に戦いの幅を狭めることとなってしまいました。

今までは敗退しつつも戦術や戦略いかんによっては手が届く範囲であったために、一勢力が強くても参加ギルドは諦めることはありませんでした。

それが高すぎる目標になってしまうと多くの人は目指すことが無くなり、それによって人口の減少を招くこととなり、過疎化へと繋がっていったのが赤鯖の攻城戦史の終盤の局面でした。

それほどまでに運営の与えるアップデートの影響は大きいため、現在も色々と新しい攻城戦を模索しているみたいですが、バランスを上手く調整しまたかつてのように大きく盛り上がる攻城戦にしていって欲しいものです。