上地雄輔
ドラマの番宣でヘキサゴンに行って
最初にペーパーテストをしたときに
「やべえぞ」となった
せっかく役者として食べられる
ようになったのに、えらいことに
なったと思った
当時は俳優がバラエティに
でることがあまりなかった
若林
M-1のあと
ヘキサゴンに出演したときは
品川さんは楽屋まで来て
番組の雰囲気とかを教えてくれた
春日さんのこともツッコんでくれた
品川
ヘキサゴンは
おばかをフューチャーしたいから
芸人が行って間違えても
まったくウケない
正解しないと抜けられないから
芸人にとっては地獄だった
1位をとったらおバカから
離れていくので、真ん中を
必ずキープするようにしていた
芸人では
FUJIWARA,ますだおかだ、アンガールズ
波田陽区、品川庄司がいつも出演していた
最初は「あいつよりも笑いをとるぞ」
と思っていたが、長くなると
チームワークができてきた
周りから「ヘキサゴンファミリー」
と言われていた
芸人なのにボケない、
紳助さんに媚びているとか
言われていた
上地
「リアルスコープ」でオードリーと
共演したときは「全然しゃべらない」
と思った
若林
スザンヌさんと事務所が同じ
だったので、「スザンヌが売れる」
と事務所が大騒ぎだった
上地
上地さんはおバカキャラで売れたので
役者仲間からは総スカンだった
「羞恥心」がデビューするときは
紳助さんに「絶対に嫌だ」と
言いに行った
紳助さんは当時20代の
上地さんは生意気で
ため口でしゃべっていて
「父ちゃん」と呼んでいたため
「なんちゅう生意気なやつや」と
思われていた
品川さんのことは「おにい」と
呼んでいた
田舎から横浜高校に行ったから
敬語も使えなかった
高校でも寮生活でテレビも
あまり見てなくて、この世界に
入ったため
20代30代は本当に申し訳ないと
思っている
品川
紳助さんとは本番前後に挨拶に
行くぐらいだった
紳助さんに「おまえは全部
勝とうとするからあかんねん
全部上から勝とうとするので
庄司がかわいそうになる」
と言われたことがある
今になって「おしゃべりクソ野郎」で
負け笑いしかない
「ドロップ」は小説を書いて
それをカドカワさんから「映画に
しませんか?」とオファーをもらった
「それなら監督やりたいです」と
言ったが会社から「最初に脚本
監督原作やったら、コケたときに
二度とチャンスが来なくなる」と
言われた
それで脚本だけ書かせてもらって
プロデューサーに見てもらったら
「監督も」と言ってもらえた
「映画を知らないやつが・・」と
言われると思ったので
毎晩、美術部、照明部、撮影部・・
と各部のチーフと毎晩飲んで
「こういう映画を撮りたい」という
話をした
自分が作る側になって、スタッフ側の
気持ちもわかるようになった
芸人で嫌われてきたから
映画の世界では同じ轍は踏まない
と思った
最近は自虐がすごすぎて
いじりを追い越している
子供のころはジャッキーチェンの
アクションが大好きだった
最近は、朝起きたら英語の勉強して
ジム行って柔術行って
お昼を食べてから仕事に行く
またアメリカに3か月撮影で行く
現地のスタッフ、アメリカのプロダクション
で撮影する
海外では評価されて日本に帰って
いじられるのがおもしろい
庄司さんが結婚して
CMが7本
最近は余裕がでてきたので
YOUTUBE撮影してても楽しいし
漫才をしても楽しい
28年たってこの心境になった
ネタでは品川さんがボケて
庄司さんがツッコミというのに
無理が出てきたので
「品川と庄司でいこう」と
いうことになった
また年をとってくるとエッジの
効いたネタができなくなってくる
上地
海外の映画も出たいし、
甲子園でライブもしたい
若林
東京ドームライブでは
満員を予想していなかったので
チケットが売れてびっくりした
怪我無く事故無く終わることを
めざしていたので
ほっとした
昔はM-1チャンピオンになったら
地上波1周するというルートが
あったのに、最近はフワちゃん、
渡辺直美さん、ピース綾部さん・・
みたいに海外に行く人が増えて
テレビ界が変わった気がする
品川
年齢や立ち位置を考えたら
日本で冠番組を持ってMCをする・・
という未来よりもみんなで
作戦を練って映画を撮るほうがいい
昔は「映画を撮った品川」という
勲章をつけてテレビに戻りたい
と思っていたが、テレビに
帰った時に何も変わってなかった
上地さんと取材日に15本ぐらい
取材を受けたとき、上地さんには
メイクさん、衣装さん、マネージャー
なと5,6人の人がついてくれて
いたのに、品川さんには
誰もいなくて見かねた上地さんが
「おにい、僕のメイクさんに
やってもらいなよ」と言ってくれた
それでも衣装だけはどうにも
ならず、上地さんはいろんな
衣装を着ているが、
品川さんは厚着か薄着かの
違いだけだった
春日
春日さんはずっとテレビに出ていた
若林
東京ドームは1年間準備した
テレビは企画があって二日酔いでも
おもしろくしちゃう人が
結局超一流まで行く
春日さんも用意しないでできる人
品川
若林さんは緻密に計画をたてて
やるのが気持ちいいと思っているから
そっちを選ぶ