ケンコバ

 日村さんとハワイ旅行に行った

 キッチンのついた部屋をとった

 アメリカサイズのフライパンで

 お好み焼きを作った

 おなか一杯になったのに

 日村さんが「BBQしましょう」と 

 手際よく切ってくれた

 「これだけ野菜食べてたら

 ちゃらだよね」とつぶやいていた

 

 翌朝、雑煮を作ったが日村さんは

 「いらない」という

 よく聞いてみると夜中におなかが

 すいて、どんぶり飯にゆかりを

 かけて2杯食べて、なおかつ

 どん兵衛を食べていた

 

 出川さんと中岡さんと

 合流して、出川さんが

 「おまえたちが絶対知らない

 ステーキ屋さん連れて行ってやる」

 というので、行ったら

 毎年ケンコバさんと日村さんが

 いっているお店だった

 

 日村さんは「おなかすいた」と

 バクバク食べて、部屋に戻ったら

 大鍋でマルタイラーメンを8人前

 作って4人で食べた

 食べ終わったら次はうどんを

 鍋に入れて食べた

 なのに日村さんは後輩に

 「ポテチどこ入れた?」と聞いていた

 

今日のゲストはヤーレンズ

2人とも元大阪で吉本出身

昔はとがっていた

 

トムブラウンのM-1

敗者復活のネタを赤ちゃんに

見せると泣き止むらしい

 

出井さんはケンコバさんに

あこがれて芸人になった

楢原さんは藤井隆さんに

あこがれていた

中高とお笑いと縁のない学生

生活を送っていたが大学

受験に失敗して、お母さんの

すすめでNSCを受けた

 

NSCでは熱量がすごい人ばかりで

それについていけず、あまり

授業に行かなかった

同期はアインシュタイン稲田さん

やめる勇気もなく

2,3年ぼーっと過ごして

友達もいないままとがっていた

そのまま東京に出てきた 

 

出井さんはジャングルポケット

見取り図と同期

NSCでジュニアさんの

授業を受けていた

ジュニアさんは毛皮のついたコートで

ニット帽をかぶって、ゆっくり教室に

入ってきた

第一声が「さぶいなあ」だった

「今から新しい笑い作ろう言うてる

教室がさぶいって・・・」

それ以来ネタ合わせは

温かいところでしている

 

NSCのころ出井さんは

先輩にネタを見てもらうという

ので、ケンコバさんにも

見てもらったことがある

MCが何を聞いてもボケていて

それでもMCが食い下がって

聞いてくるので最後の最後に

「やりたいことやったらええねん」

といって帰っていった

 

M-1の3回戦に小藪さんが出ていた

審査員にビリジアンで元相方の

山田さんがいたので

ヤーレンズの二人はめちゃ

テンションがあがっていた

楽屋でも小藪さんがいるので

若手はめちゃ気を遣っていた

小藪さんがめちゃ敬語で

しゃべってくるので余計

緊張した

 

M-1を作った谷さんが

「M-1はじめました」という

本を出版した

そのころは、漫才が衰退していて

面白い人はこぞってコントを

して、NGKのお客さんもパラパラ

当時の吉本の専務の木村さんから

「なんとかせなあかん」と言われて

谷さんがお願いして

オートバックスにスポンサーに

なってもらって、紳助さんに

相談して「視聴率がとれない」と

言われながらもテレビ朝日に放送

してもらうことになって、

やっと「M-1が開催できる」

となったのに、ふたを開けてみると

エントリーが0だった

 

中川家のところに行って

「なんで出えへんねん」

「なんで出なあかんのですか」という

 話しあいでやっと出てもらった

他の事務所からも「どうせ

吉本が優勝するのに、なんで

お膳立てしないといけないのか」と

誰もエントリーする人が

いないのを「ガチですから」と

説得して、やっとパラパラ

エントリーしてもらえる

ことになった

 

第1回は紳助さんが、決勝進出者の

中にますだおかだとアメリカザリガニが

いたので「セリーグの中にパリーグが

いますけど・・」と言った

今はパリーグでもおもしろい

芸人はたくさんいる

 

 

 

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