森脇健児さんは
1990年代はアイドル芸人だった
笑っていいとも
全曜日制覇
レギュラー12本
主演ドラマ、CDデビュー
ベンツはキャッシュで購入
高級マンションも購入
トレンディ俳優と毎日
飲み明かしていた
SMAPを自宅に招いて
お笑いを指南していた
最高年収は8000万
それが潮が引くように
レギュラーがなくなり
上京して7年で自宅を売って
京都に戻ってきた
KBS京都での唯一の
仕事もなくなるピンチ
そこで自分でスポンサー
探しに出かけた
そんなとき、たまたま
入った居酒屋で、
以前番組のスポンサーだった
社長に出会って、
またスポンサーになってもらった
フジテレビの廊下で
スレ違った中居くんに
「スマスマ出して~な」と
言って呼んでもらった
スマップ全員に手紙を書いた
17年間暇で、月収20万
ぐらいだった
暇なので、毎日走っていた
大相撲を3時ぐらいから見ていた
そのうち
TKO木本さんや、団長が
森脇さんのエピソードを
話してくれて、ワイプで
写真が出るように
なってから仕事が増えてきた
走るために
オールスター感謝祭は
2003年初出場初優勝
心臓破りの坂と同じ
環境の自宅を買った
死ぬ気で走ってるので
毎回遺書を書いていた
もう1度優勝するのが夢
森脇哲学
新幹線はのぞみでは
なくこだま
東京に行くモチベーションを
高めるのに
のぞみは速すぎる
5階以上ある局は
信用するな
テキーラ飲むヤツは
信用するな
笑いはバックステップ
踏んでからの左フックや
結婚はボディや
森脇健児さんの自宅は
年末は松竹芸人が
大掃除するのが恒例行事
雨どいを掃除すると
売れるというジンクスがあるので
みんな掃除したがる
去年は森脇さんは、
自分で掃除していた
ウーズヴェルトゲームの
打ち上げで、木本さんは
森脇さんに「2次会行っても
仕事増えへん」とホテルに
連れて帰られた
打ち上げで、「このドラマの
おかげでレギュラーが
6本増えました」と
ウソを言った
心臓破りの坂の向うには
サクセスストーリーがある
マラソンで6着になって
悔しがっている顔が
アップになった
それを見ていたルーズヴェルト
ゲームの監督が
「この顔だ」と監督役に
抜擢された
また、水戸黄門にも
出演が決まった