ブラマヨから華丸大吉へ
デビューのきっかけを教えて下さい
福岡に15年いた
福岡大学の落研時代
博多のテレビ
「お笑い明太子」に出ないかと
いう話が来た
このときに優勝したのが
カンニング竹山さんの
「ター坊、ケン坊」
福岡よしもとを補欠合格したが
先輩がいないので
どうしていいかわからない
マネージャーが
元明石家さんまさんのマネージャー
だったので、
「さんまさんはどうだった、こうだった
きみたちはどうするの?」と
言う感じで物を言うので
大嫌いだった
1年目にカンニング竹山さんが
福岡よしもとを辞めた
そのため、トップの座に
華丸大吉がつくことになった
なんとかやってきたら、
所長が異動になって
2代目所長がやってきた
この人は、
「福岡弁の漫才はいりません
華丸大吉はタレントでしょ」という
考えだったので、バラ売りが
始まった
ここで、もめて
メインMCの番組は打ち切りになり、
大吉さんは1年間の
自宅待機になった
その間に華丸さんは、
DJをやったりしていたけど、
大吉さんは一人で
ネタを書いていた
そして大吉さんの書いたネタで
オンエアバトルに合格する
その頃、昔福岡で一緒だった
カンニング竹山さんが
全国ネットで売れ、
続いてヒロシさんが売れた
35才で東京へ進出した
福岡のディレクターが
福岡に1本だけ
コーナーを残してくれて
家賃だけ払えるようにしてくれた