時代が令和になり『とうとう私も3つの年号を生きたのか』と感慨に更けるのも束の間、『老害』という言葉が身近に感じられるようになって久しい。

今再び学生に戻り、年齢性別様々の繋がりができた。同じグループワークに取り込み。膨大な課題物をお互いに励ましあって成長する学び舎は本当に楽しい。徐々に親しくなり会話が弾む中で、考え方も柔軟で若いつもりだったが、気が緩むと昭和のキーワードを並べ『あの頃はこうだった』と10年前に忌み嫌った行為を無意識にしているではないか、と自分に愕然とし恥じた。

 

平成世代は優しく親切で腰が低い。そして1伝えたら10理解するスマートさを持っている。私が出会う方々が皆優秀な方たちばかりなのか?

最後に在籍していた部署で日常聞こえる会話(私語)は昭和のおっさん2名と30代女番長1名のみ。彼らが牙城を築いていて20代前後の若いスタッフ達は皆一様に会話が振られるまでおとなしく仕事していた。情報掌握能力や無駄なことに力を遣わない能力(スルースキルというのだろうか)がものすごく高かった気がする。

 

タイトルとは逆説的になるが、昭和世代には『老害呼ばわりされるのを恐れすぎるな』と言いたい。話し合わなければお互いの意思疎通が進まない。ただ、年齢だけでアドバンテージを取っている分を意識して話のバランスを取ってほしい(相手3割;自分7割』くらい?)。過去の思い出話はなるべく封印かさっと流す程度。わたしたち昭和世代の大切な役目のひとつは『過去を丁寧に紐解く』ことではなく、彼らの『今』を引き出し『未来』に繋げる道筋をつける手伝いではないか、と思うのだ。彼らはアイディアもあるし弁も立つし推進力もある。ただ肩書(権力)がないだけで眠れる宝が各組織にわんさかいると思うのだ。

 

社会を前進させていくために今何が問われているか。ネットを見れば忖度なしで語られていることが実社会ではどうだろう。組織では40~50歳になったら全員決定権を次世代に譲位するルールを前提条件にする。また、国もそういった企業に追い風を送る施策をする。年功序列も当然崩れる。その過度期に天下りやポスト確保に奔走する旧石器人種は排除しておく必要がある。きっと活力も増し面白い社会になるはずだ。年金?老後?今の若者の現状を知っているの?杞憂で未来を希望を潰していくことこそ『老害』だといいたいのだ。

 

話を戻して結論、平成の希望に満ちた若者が『その話題オワコンですよ』という嫌味のない表情で距離を取ってくれるから、せめて会話する相手の表情はよくみておこうと心に誓うおばさんであった。昭和世代の皆さん、もっと情報をアップデートして頑張ろう。根性もあってそこそこ元気なんだから無自覚の加担者にならないように。ノーモア・ロウガイ!