去年の今頃の話をまた別の角度から書く。成り行きというか勢いで退職してしまったので、せめて有休期間中くらいは静かにぼーっとする時間の恩恵を享受してと思っていたのだが、有休に入った途端に母が肺炎で危篤。持ち直したりそのほかの症状が出て悪化したり去年みたいな感じで繰り返したので年末まで毎月帰省することにした。こうなってみれば30幾年、職場に迷惑を掛けない最高の引き際(異動辞令で引継完了後)だったことが救いだった半面、介護休暇を請求すればよかったかな(もったいない)という気持ちが半分。いやいや、そんなお金の算段は抜きにして、スカッと爽やかな引き際と年齢的なタイミングにおいて、この進退はこうなる運命だった。
毎月、実家から戻るたびに感慨にふける間もなく、未知の退職後の諸手続きを調べたり、確認したりに奔走した。私は人並みにできているのだろうか、果たしてこれは正解か?今後の家計にまつわることだから常に不安。こんな調子だったから、手続きが少し落ち着く頃にようやく『はて、私のやりたいことって?』とか『郷里に戻るかここでやっていくのか』を真剣に考え始めたのだった。
手始めに退職セミナーを受けた。勤め人時代、おぼろげに考えていたことは甘い妄想に過ぎなかったし、手元にあるお金(退職金)も想像より少なくて、これだったら物価上昇にすぐ追いつかれてしまう。資産のない賃貸暮らしの独り身は、年金だけでは暮らせない、現行の日本の制度では、死ぬまで働かないと愉しみに費やす金も無しで一生が終わってしまう、そのときに知った哀しい現実であった。
そんなとき、思いついてやったワークは『49日後の私へ』という自分の未来へあてた手紙だった。2通書いたから悶々としていたのは約3か月ほどだろうか。『あなたは今、何か見つけましたか?今、私には何も見えません』『それが見つかってワクワクしているでしょうか』みたいな内容を取りとめもなく書いた。その頃はブログも始めてなかったし、日記も30代から書いていない。私的なことを書くことはご無沙汰していたが2通とも5枚のボリュームになったことに驚いた。常々、消えていく思考だけで勝負していたから、この際、自分自身に言ってやりたいことがたくさんあったのだろう。
思えば『現実と自分の理想との折り合いをどこでつければいいのか』、そこが自分にとっての鬼門だった。書き出すと気づくこともあった。その後、手紙を書いたことすらまた忘れ(笑)、興味本位であちこちのSNS広告を覗いていた。帰省を繰り返しながら投資やAIセミナー受講、初めての確定申告の準備と同時にフリーランスについての情報収集、元気になった相方との音楽活動も強攻したので、怒涛の年末となっていく。多忙でその間、寝込めない代わりに咳と2か月声が出なくなる風邪もひいた。フリーランスになる自信は全くなかったが、勤め人に戻れば私の性格ではまた時間泥棒に時間を捧げてしまうに違いない、それだけは明白だった。生活のためのアルバイトも探しながら、自分の中に、これ以上自分をないがしろにしてはいけない責任が徐々にだが強く芽生えていたのだった。
悩み抜いた先には『出会い』という希望が必ずある。年が明けて1月も後半になろうとしているときにも、わたしはまだ『何か』を探していた。向かった図書館がたまたま閉まっていて、何気なく見たラックに入っていたひとつのリーフレットが運命を決めた。
人生迷子の方がいたら、あきらめてはいけない。焦ってもいけない。何も知らないからと飛び込むことに躊躇してもいけない。アンテナは磨いて高く伸ばしておけ。常に不安よりもワクワクすることを考えよう。『やるだけやったらそれに見合う答えはみつかる』と昔、経験したことがまた形を変えてやってきたので、これはきっともう『法則』なのだとどこか腑に落ちた自分がいた。