イーヴォ・ポゴレリチのバッハのイギリス組曲が聴きたくなって、You tubeに遊びにいったら、右下のお薦め動画のところに、バッハ(ブゾーニ編曲)シャコンヌがあった。すっかりイーヴォの演奏だと思って、聴きはじめた。なんかちょっと違う気がするけど、年を重ねて少しふっくらしたイーヴォと横顔がそっくりだし、独特な演奏時の手の形もよく似ていて(他にこんな弾き方をするピアニストを知らない)疑いもしなかった。途中で、その力強い打鍵がイーヴォとは違う気がすると感じたりしたけど、ポゴレリチで検索したもんだから、そんな珍しい名前のピアニストが二人もいようとは・・・



本日の一曲

クラシック音楽がお好きな読者かたへ。この曲を他のヴィオルトーゾの演奏で聴き馴染んでいる人にとっては、導入部のテンポの遅さと、緊張を強いる重い表現に堪え難い物があるかもしれませんが、ぜひ耐えて2/2の最後までお聴き下さい。これを聴く私の脳裏には、このような情景が浮かびます。

石造りの、家具も何もない伽藍堂の部屋。低い椅子に腰掛けた男性が一人。夕暮れの迫る薄暗い中で、腿に肘をおき、祈るように両手を組み合わせた手を額に当ててうなだれるように座っている。
祈っているのだろうか?いや彼は誰かを待っている。夕暮れはしだいに闇を濃くしていき、男性は暗闇のなかでなおも動かない。よく見ると男性は泣いていた。彼は待ち人が決して帰ってこないことをわかっているが、そうするより他になかった。


これは、慟哭の鐘を表現している。彼は誰を失い、誰を待っているのか?







後半が素晴らしい。2/2の4分過ぎからが圧巻。5分過ぎのピアニシモの物悲しい旋律にさしかかったとき、なぜ導入部分が、あのテンポでなければならなかったかがわかる。彼がクライマックスとして表現し伝えたかったものはこの部分であると。
そして続くフォルテシモの左手の低奏は、ミサイルの爆撃音のようでもあり、暗闇に包まれた破壊された街に鳴り響く鐘の音のようでもある。
このような不条理が、この世にあってよいものかと、問われているようで、私は泣けて泣けてどうしようもなくなる。


奏者はロブロ・ポゴレリチでイーヴォの実弟なんだそうだ。13歳も年が離れていて、イーヴォがロシア留学でユーゴスラビアを離れてから生まれたため、殆ど兄弟としての交流はないそうだ。ピアノを習いはじめたのがコントラバス奏者の父親からだった、ということで、手の形や打鍵のスタイルが似ているのだろうと思う。曲に対する独特な解釈も、父親から受け継がれたものかもしれませんね。

1970年旧ユーゴスラヴィアのザグレブで生まれ、父はクロアチア人、母はセルビア人。1990年、彼が20歳のときにユーゴスラヴィア紛争が勃発。内戦状態になりセルビア人とクロアチア人の間で、民族浄化のもと虐殺、暴行、レイプ、破壊行為が行われた。ユーゴスラビア紛争は、その後、マケドニア、クロアチアの独立、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争やコソボ紛争をへて2000年には終結するが、民族の対立は続いたままらしい。

ロヴロ本人がそれを意図して弾いているかどうかは知り術もないのだけれど、私はこの曲はその一連の紛争で亡くなった罪のない人々へのレクイエムだと確信している。


現在彼はクロアチア人としてクロアチアの首都ザグレブに住みザグレブ音楽院で教鞭をとりながら演奏活動を続けているということだ。戦渦の混乱の最中もザグレブ交響楽団との演奏会を行う等積極的に演奏を続けていたらしい。これまでにCDを3枚リリースしており、ポロコフィエフの「展覧会の絵」は、ヨーロッパを中心に高い評価を得ているとのこと。1992年には同時ザクレブ交響楽団の音楽監督だった指揮者・大野和士と来日し、姉妹都市である京都市を中心に幾つかの都市でコンサートが行われていたとか。

このシャコンヌの演奏の映像は彼の公式HPにアップされている。DVD,CDともに販売をされているようだけれど、日本では未発売。日本のAmazonにも在庫がない。欲しい。







だってYou Tubeだと二つに分割されてるんだもん。