母が亡くなって、3週間。
母のお見舞いに通っていた時は夏真っ盛りだったのに、十五夜を過ぎてすっかり秋模様。
朝晩は窓を開ければ冷たい空気とともに、金木犀の良い香りが部屋に入ってくる。
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主な手続きも終え、先週から父と私は仕事に復帰した。
今までなら「行ってきます」と言えば「いってらっしゃい」と声が返ってくるし「ただいま」と言えば「おかえり」と声が返ってきた。
帰宅すれば、テーブルいっぱいに温かい夕食が並んでいた。
「当たり前」だと思っていた日常が、この2ヶ月で一変した。
今は部屋の掃除や洗濯は父、食事の準備は私と分担して何とか回しているが、未だに生活のペースが掴めない。
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父は根っからの仕事人間なので、今まで地域との繋がりは母の役割だった。
その母が亡くなった事で、地域との繋がりが薄れてしまった。そうでなくてもこのコロナ禍、外を歩いていてもご近所さんに殆ど会えない。
叔父(母の弟)は自身で妻を看取っているので、経験者として心強い。しかし「俺でも出来たんだから、お前達も出来ない筈はない」と上から押さえ付けられる感があるため、弱音が吐けない。
母から「何かあったら頼る様に」と言われていた叔母(父の妹)はメンタル面を支えてくれる存在だが、店をやっていて多忙のため、頻繁には連絡を取れない。
家族の死について話せる程、親しい友人もいない。
出勤しても、お局の仕事独占により周囲との係りを絶たれてしまったため、仕事もないし話しかけてくる人間もいない。ただ終業時間が来るのを、じっと待つだけ。
入院中に連絡をくださった母の友人には、亡くなった後に連絡を取ったが、ショックが大きかった様で、その後の連絡はない。
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いつも休日には母と近くの百貨店でウィンドウショッピングを楽しんでいたのに、今は休日の過ごし方が分からない。自分の服すら買えない。
父と娘ではそんなに会話が弾む訳もなく、夜は早々に夕食を済ませ、後はテレビを見て寝るだけ。
(しかも唯一父と一緒に見ていた半沢直樹が、先週で終わってしまった)
夜は睡眠導入剤がないと眠れない。ずっと母に話しかけている感覚に陥り、睡眠導入剤で強制的にシャットダウンしないと眠れない。
今父と娘は、それぞれが孤立状態にある。
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これではまずいと思い、本来ならば四十九日を過ぎてからと思っていたスポーツジムに復会しようと思っている。
元々父母と私の3人で通っていたスポーツジム。コロナ禍でしばらく休会していた。母は退院したら復会する気満々だったため、母が亡くなるまで休会にしていたが、9月末で退会した。
嫌がっているが、父も復会させるつもり。人の多い所に連れ出さないと、本当に孤立して呆けてしまう。
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やっぱり母の存在は大きい。
頭の中では「誰もが通る道」と分かっていても、心の隙間はなかなか埋まらない。