9月15日18時5分 母逝去

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今日の午後に家族みんなが病院に集まったのは、お母さんの退院に向けての話し合いだったんだよ。ケアマネージャーさんやヘルパー業者さん、介護ベッドの業者さんまで呼んでさ。

それなのに突然肺炎起こして、直前にキャンセルになったんだよ。

でも良かった。弟は一旦帰宅しちゃったけど、最期に顔見れたしさ。お父さんと私に手を握られたまま、逝けたね。

ちょっと肺炎で呼吸が苦しそうだったけど、痛みに苦しむ事なく、すぅーっと逝けて安心したよ。

あんなにお家に帰りたかったのにね。お父さんと散々体位の替え方とかオムツ替えの練習したのに。今日だってお父さん、介護ベッドを入れるために部屋を片付けてたんだよ。

でも叔母ちゃんが言ってたよ。お母さんがお家に帰ったら、家族の負担が増えるって。それを分かってたから、逝ったんだって。最期まで、我々の心配をしてくれたんだね。

しかしホント最期まで、良く頑張ったよ。気付いてた?本当は抗がん剤治療が1回しか出来なかったのに、家族みんなで治療している振りをしていたんだよ。お母さんが最期まで治療を諦めなかったから。

一時期血糖値が上がって、大好きなフルーツや甘いものを我慢した時期もあったね。でももう我慢しなくていいよ、好きなだけ食べていいよ。

「親の死をもって、子供に最後の教育をする」って言うらしいけど、本当にその通りだね。お母さんの頑張りは、すごかった。尊敬するよ。

家族みんな最期まで「お母さんゴメンね」って言わなかったのは、我々も”やり切った感”があったからね。お母さんの大好きなフルーツやお煎餅、お父さんの作った味噌汁とか、毎日お見舞いの度に病室に持ち込んでさ。このコロナ禍で、看護師さんに怒られるんじゃないかって、冷や冷やしてたんだよ。

面倒臭いお父さんを残されちゃったけど、お父さんこれから頑張って料理覚えるって。大丈夫かな。まあ味噌汁は作れる様になったから、その他の料理は追々ね。

私は今晩は睡眠導入剤なしで寝れそうだよ。もう病院からの呼び出しを心配する必要がなくなったからさ。

2、3日前かな、お母さん私の頭を撫でながら「あなたは良い娘」って言ってくれたね。その言葉、絶対に忘れないよ。

本当に有難う、お疲れ様。