今更ながら、初めてカフェでPCを開いた。
場所が変わると意識も変わるものなのね。

数年前にロンドンをぶらり旅した時
ホテルのロビーでPCを開くどこかの国の人。

やたらとその出で立ちがステキ星
その光るアップルロゴがまたかっこいいし林檎
人差し指を頬に当ててる所が何だか知的だし
メガネに映るモニターがまた真剣な感じでイイ
とか絵になるなぁとか
訳の分からない憧れのようなことを感じたことがある赤ばら

私って形から入るタイプなので
結構見た目で決めたり
表面的に感じ取ったりすることが多いのだけど
当たり前のことを今日こうして経験して分かった。

当たり前だけど
そんなの何をしているかでかっこいい度は変わる。

前から分かっていたはずなのに
男でも女でもそうしたかっこいい姿を見ると
その人が実際何をしているかよりも
見た目に惑わされるという浅はかな幻想を抱く私。

今回の例はしょうもなく浅いですけれど
PCをゲーム機にするとか
情報収集機にするとか
情報発信機にするとか
宝箱にするとか
使う人次第でどんな風にでも変わる。

PCは人生を反映する手帳のようなものと言ってもいい。

それを宝で満たすには
たまに使う環境を変えて感じ方を変えたり
こうしてブログを更新したり
自分の中にあるちょっとしたアイディアの原石を
とにかくメモなどに残しまくる

それがいつかつながっておもしろいことになりそう。

そしてたまには何もせずに空っぽになってみたり
ジョギングや編み物のような反復運動をしてみたり
絵を描いたり粘土をいじったり
様々な感覚を刺激してただ楽しむ。

インプットだけでもダメ
アウトプットだけでもダメ
感じるだけでもダメ
考えるだけでもダメ

人間って色々忙しいけれど
そして特に何かと忙しい時代だけれど
自分で自分のことをもっと自由にして
自由を楽しんで
自由に責任を持てば
そんなに苦しくないんじゃないかな。

そんなことを色々考えていたらわくわくしてきたカメ