【あれから32年…】32年前、昭和の最後となったあの年の10月29日は... この投稿をInstagramで見る 【あれから32年…💫】 32年前、昭和の最後となったあの年の 10月29日は土曜日でした 寝起きの悪い私のために 温めたタオルと冷やしたタオルを用意して 交互に顔に乗せて起こしてくれる そんな母でした あの日の朝、母は近所のパン屋さんで 私の大好きなサツマイモのパンを 買って来てくれていました🍠✨ 私は、時間が足りなくて 「あとで食べるね!」と半分残しました いつも玄関の外まで、見送ってくれる母 「100兆万年ぶりー😆💓」と言いながら 抱きしめ合うのが、2人の慣しでした 金魚のフンとからかわれる位 私はいつも、母の側に居たから ほんの1分でも離れた後は 何年も会ってなかったかのように感じて 〝100兆万年ぶり”と表現していました 急いで学校に行こうとする私を いつもよりも 強く強く抱きしめてくれた母 なぜなのかは… あの時はわからなかった… ================= 〝母が愛してくれていた″ 誰が何と言っても 揺るがない事実を 絶対に忘れない ================= ランドセルに付いている鈴の音を聞いて 迎えに出てくれることもある母 この日は、居ませんでした 自分で鍵を開けたことも無かった 家に帰れば、必ず母が居たから それが、当たり前だったから 玄関の扉を開けると… 朝のパンが見えました その奥には、午後に行く予定の プール教室の荷物が準備されていて いつも通り🌈✨ いつも通りであって欲しかった… いつもなら、兄の方が先に帰るのに この日は、校庭で遊んでいたようで 私が先に家に着きました 母は、きっと… 私を選んだのだと思っています お兄ちゃんには、受け止め切れないから 今思うと不思議ですが 人形だと思いました いつもよりも細く感じたのと もう温かくないことが わかったのかな… お母さんが、私を驚かそうとしている ストッキングの中は新聞紙だよね? 必死で目を凝らせば凝らすほど そこに居るのは、間違い無く母だと わかりたくないのに、わかりました… 「○✖️▷□…‼︎」 人って、驚くと本当に 声が出なくなると、知りました 大声で叫んでいるのに 声が出なくて… 涙だけが溢れて… 目が覚めたかのように 突然、声が出るようになった後は 声が枯れるほど、叫びました 廊下の奥から「驚いた?」と 母が照れながら出てきてくれることを 願って叫びました… ================= 『あれから』 どこかに大事な何かを 置き忘れたような自分の影 生きるというのは別れを知ること 愛しい人よ あれから 元気でいましたか? 随分 月日が経ちました 「お久しぶりです。 あなたのことをずっと見ていましたよ。 頑張りましたね。 さあ 私の分まで、まだまだ、頑張って」 なぜだか 涙が止まらない 心がただ震えています あれから どうしていましたか? 私も歳を取りました 今でも 昔の歌を 気づくと 口ずさんでいます 振り向けば幸せでしたね ================= 母が歌ってくれた子守唄を 今は娘に歌い継いでいます 娘の名前は 母から1字もらいました 命も愛も繋がっていきます💫 悲しみは癒えないし 淋しさも消えない 〝生きてて欲しかった″ その気持ちは ずっと変わりません でも、母に愛されていたこと その愛が今も繋がっていることも 決して揺るぎません 「成人するまで、何としてでも生きていてあげたい」 そう願ってくれていた母の愛を 見失いそうになる時がありました 「お母さんは、本当に居たの?」 そんな風にさえ思ったこともあります ================= 自分が生きていることが 何よりの証 自分自身が、母の形見🤱✨ ================= もう一度、会えるなら… 100兆万年でも頑張るよ お母さん 生んでくれてありがとう 愛してくれてありがとう 大好きだよ ================= シンガポール発🇸🇬 #walk_with_me 『愛されていたことを忘れない✨』 Follow me ⇩⇩ @yukochan.sg @yuaichan.sg 美元|𝕐𝕦𝕜𝕠 ℂ𝕙𝕒𝕟\どん底からハッピーママに🌈✨/(@yukochan.sg)がシェアした投稿 - 2020年Oct月30日am9時11分PDT