ニューカレドニアに行く日。

お父さんからの電話。忘れられない電話。


披露宴の最後に、両親に捧げる記念品。

何がよいのか。

一生に一度の日の特別な贈り物。

考えて考えて。

アルバムを贈ろうと決めました。


フジフィルムのフォトブック。

一冊の本のように。

文章を添えて、写真をまとめることができるから。

タクシーの運転手をしているお父さんが。

車のサイドボードに入れてくれたらいいなと。


最初は私の成長期にしようと思ったのです

最後のページは私と政伸さんの結納の写真。

そして、式の当日に読む父への手紙を。

そのフォトブックに収めたいと。


写真を選んでいくうちに。

二冊組にしたいと思いました。

「家族4人だった頃」

「家族が3人になってから」

それぞれにまとめたいと思ったのです。


母の写っている写真は一枚一枚本当にいとおしくて。

そこにコンピューターで書いた文字を機械的に添えることはしたくなかった。

どうしてもしたくなかった。


そんなとき。

結婚式前はテレビを観る時間がほとんどなかった日々の中で。

ふと、政伸さんが観ていた番組が目に止まりました。

そして政伸さんの一言。

「編集ってすごいな」

その番組はもう亡くなってしまったある方のドキュメンタリー。

コメントを自在につなげて。まるで違う文章にに仕上げていました。


そのコメントは彼女が生きているうちには発することができなかったけど。

でも。きっとそう思っていたであろう思いで。

「つくりもの」とは思えなかった。

感動の言葉でした。


そのとき。私の中で何かがつながって。


母からの手紙を。

形にしたいと。

思ったのです。

天国からの手紙。


母が残した育児日記。

3冊の日記帳にびっしり書かれたその文字。その言葉。

途中で何度も涙があふれて。

読み進めることができなくなった日記。


でも。

写真と日記を。

何度も何度も見ていると。

自然と目にとまる言葉があるのです。


その言葉を。

一つ一つつなげて。気がついたら朝の11時。

体育座りのまま。なんどかうたた寝もしちゃったけど。

自分でも信じられないような衝動と感動に突き動かされて。

言葉が紡がれました。


母は、思い立つと、何でもやり遂げないと気がすまない人で。

寝る前に何気なく。

編み物の本を見ながら「どれが欲しい?」と私に聞くのです。

そして。朝起きると、もう出来上がっている。


私の喜ぶ顔を見るためなら。

丈夫では無かったその体を酷使してでも。

なんだってしてくれました。


「つるの恩返し」のように

自分の羽で。糸を紡いでくれる。

そんな母でした。


フォトブックをつくりながら。

「私も母に似ているな。」そんな思いと。

「母が私の体を使っているな。」そんな思いが。

してなりませんでした。


母が、私たちに届けたかった言葉だと。

信じたいのです。


私は。

母ができなかったことを叶えられる。

母の分身でありたい。



「ちいさな願い 母より」


そう始まる母からの手紙。

直筆で書かれたその手紙。


父と母が出会い、結ばれ。

兄が生まれ。

私が生まれ。


一家4人の生活。

9年間の私たち家族の宝物の日々。


母から子供たちへの願い

「…健康であって欲しい。

お願いだから健康であって欲しい。


そして素直で思いやりのある人間になって欲しいと願っているんだ。」



母の想い。

「…成人して一人前になる迄 どんな事しても 生きてあげていたいと思うの。」


「…病気したんだもの。仕方ないね。」


母の夢。

「会いたいなぁ 帰りたいなぁ 恋しいです。」



母の心。

「栄次さん どうも有難う」


幼少の頃からずっと。

病気を患っていた母。

最期は。

治療を断念しました。

亡くなることを受け入れたのです。


一度だけ。

父が泣いたのを見たことがあります。

一度だけ。

父が自分の頭を壁に何度もぶつけているのを見たことがあります。

一度だけ。

父が母にキスをしているのを見たことがあります。


…母が亡くなった日。


私も。

父に習って母にキスをしました。

冷たくなった唇に。

キスをしました。


あのときの父の悲しみは。

あのときの父の淋しさは。

計り知れません。


あれから20年。

再婚もしないで、私たちを育ててくれた父を当たり前だと思っていました。


ちょうど。父が今の政伸さんの年齢のときに。

母は亡くなりました。

9歳と11歳の子供を。

一人で育てることは容易ではなかったと。

今ならわかります。


子供の時は父はスーパーマンだと思っていました。

でも、父は。

私の父である前に。

母と夫婦であり。


母と愛し合った一人の男性だったと。

あの頃の私は考えもしませんでした。


「アルバム見たよ。

愛ちゃんが本当に語っているようで

全身の力が抜けて、仕事休んだよ。」


カメラの前でいつも同じ表情になる父。

二枚に一枚は目を閉じてしまう。

そんな父に私はいつも写真の撮られ方を偉そうに語っていました。


婚姻届を出す日のブログの父の写真。


「今日はいい感じ」

身構えていない自然体の父があったから

何気なく言ったその一言。

本当に感じたその一言。


「あの一言、嬉しかった。

愛ちゃんが死んでから、ずっと自分に自信が無かった。

病気を軽く見ていたことをずっと後悔していた。

カメラの前に立つと、そんな自分がどんな顔で写ったらよいのかわからなかった。」


思いがけない父の告白。


「『栄次さん 有難う』の言葉で   …ようやく自信が持てたよ」


病気で苦しんでいた母。

その苦しみは私たち家族の想像を遥かに超えていたと。

気づいたのは  …母が亡くなってから。


天国の方が楽で、幸せだと思っているとは考えたくなくて。

亡くなる直前まで、生きたいと思っていたと。

そう信じたくて。


天国からの手紙が欲しかった。

母の言葉が欲しかった。


母が亡くなる数日前。

父と兄と私が。三人でゲームをして笑っているのを。

淋しそうな顔で母が見ていたと。

その顔が父の中にずっと残っていたから。

「病気がちな私が側に居ない方が、みんなが幸せになれる」と思ったのではないかと。

…ずっとずっと、父の中にあった思い。


そうでは無かったと信じたい。


限界まで生きてくれた母。

父になら、二人の子供を任せられると。

安心して天国に旅立ったと。  そう信じたいから。


天国からの手紙が欲しかった。


最後のページには

「一日でも長生きして 頑張れ」という母の言葉と

天国にいる両家の祖父母と、もう亡くなってしまった母の兄達。

ペットのウサ美とハムス太まで。

みんなの写真が私達三人の写真を囲んでいます


天国でみんなが病気から解放されて

仲良くみんなで私達を見守ってくれていると信じたかったから。

そんな姿をこの目で見てみたかったから。


フォトブックは夢を叶えてくれた魔法の本。

このままずっと。

魔法にかけられたまま。

母の愛を信じて。生きていきたい。



おとうさん、これからはお母さんの分まで幸せになろうね。

お母さんの性格をよく解っているお父さんなら。

お母さんの願いは、わかるはず。


魔法の本に書いてある言葉

「…健康でいてくれたら それだけが私の願いです」


来月は母の命日。

今年は政伸さんも一緒に。

母に健康な私達の姿を見せに行きたいな。