新宿四丁目の雷電稲荷神社へ伺ったとき

その横の路地を歩いたあと明治通りへ出て

改めて天龍寺へ伺いました。

 

 

 

 

こちらは雷電稲荷神社へ伺う前に明治通りの向かい側から写した山門です。

高島屋やニトリへ行く時、いつも前を通る見慣れた風景ですが

一度も境内へお邪魔したことがなかったので

今回は最初から伺うつもりで撮りました。

私のカメラでは近くでは全景が入らないもので。

 

さて、山門の横から入るととても広い空間になっていて

その正面に大きな本堂がありました。

 

その空間から、表側からは近すぎて写せなかった山門を写しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

立派な山門ですねえ。

屋根瓦や軒の細工、重厚な柱に見とれてしまいます。

神社仏閣の木造建築物には伝統に支えられた力強さが漲っていて

いつも見惚れてしまいます。

 

 

 

 

 

こちらは大きな本堂。

離れた所からでも全景が入りません。

 

 

 

 

 

 

燦然と輝く三つ葉葵の御紋。

 

初期のブラタモリで、タモリ師匠がここを訪れたことを思い出し

調べてみたら2011年3月放送でした。

かつて境内には池があり、渋谷川の水源の一つだったのですね。

 

 

天龍寺は曹洞宗のお寺で山号は護本山。

創建は天正19年(1591年)

徳川家康公の側室である西郷局の父の菩提寺でした。

なんと、かつては牛込付近、納戸町にあったそうな。

それが天和の大火で焼失したため天和3年(1683年)

この地に移されたそうです。

 

 

 

 

 

 

本堂の脇には観音様。

 

 

 

 

 

 

 

奥には鐘楼がありました。

その近くにあった説明板2枚。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

天龍寺の時の鐘

内藤新宿で遊ぶ人たちに時を告げる「追い出しの鐘」だったのですね。

ここが江戸市中の西の端だったのか。

 

この鐘は、かつて寛永寺、市谷亀岡八幡宮の鐘と並び

江戸三名鐘といわれたとか。

 

ランダムに歩いているつもりでも、江戸時代の寺社に

思いがけない繋がりを見つけてビックリです。

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼の奥は墓地で、お地蔵様がその入り口を守っている様子。

この先は檀家さんの墓地なので足を踏み入れるのは遠慮しました。

ついさっき、あの裏を歩いたのですね。

 

ところでかつて山門は反対側にあったということを

後になって知りました。

さらに江戸時代、雷電稲荷神社はこの天龍寺の境外社だったとか。

今はもう周りをビルに囲まれて昔の面影を探すことはできませんが

ただ道筋だけは案外変わらないものですね。

 

 

 

 

 

 

山門まで戻って来たら、向かい側のビルの窓との対比が面白くて一枚パシャリ。

 

 

 

 

 

 

もう一枚写したら煽った形になってしまいました。

 

 

 

このあと、先ほど入った山門の脇から出ようとしたら

境内の奥から涼しい風がやや強く吹いてきました。

その風がとても爽やかで気持ち良かったので

しばらく佇んでいました。

まるで高原を吹き渡るような澄んだ空気が運ばれたようで

少しずつ汗が引いていくのが分かりました。

乗降客数が日本一という雑踏の新宿で

こんなに気持ちの良い風に出会えるとは!

 

 

 

 

 

 

佇みながら写した山門の屋根。

 

 

 

 

 

 

 

この日は梅雨空のような薄曇り。

とても蒸し暑かったのですが

思いがけないご褒美を頂けた気分です。