昨日はバタバタしていて集中力をかき集められなかったので

ブログはお休みしてしまいましたが

暗くなる前に家には帰って来ました。

 

バスを降りて歩き出すと、まだ辛うじて明るかったけれど

一日が暮れていく気配が町に漂っていました。

行き交う人たちはそれぞれ用ありげに急ぎ足です。

そんな人たちが、映画の中の登場人物のようにクッキリ見えました。

そこにいる人だけでなく、もはや見慣れた道路や建物が、

昨日に限っていやにクッキリ見えました。

昼間は暑かったけれど、夕方から涼しく乾いた風が吹き始めたせいかしら。

そんな風に吹かれていると

映画の映像の中に紛れ込んでしまい

実在するのは自分だけのような

不思議な感覚に捕らわれたのでした。

 

そういえば

たそがれ時は逢魔が時ともいうのでしたね。

期せずして時の境目に滑り込んでいたのかな。

 

そんな風に見える町を歩きつつ、今はここが我が町なんだと

改めて思いました。

この町に暮らし始めて4度目の夏。

まだ完全に慣れたとはいえないけれど

この町が好きになりつつあります。

微妙に馴染んだ視線が見せた映像なのでしょうか。

 

バス道路を渡ったところで

向かい側から見知った人が歩いて来ました。

 

知り合いではなく、よく出会う人です。

 

この町に住み始めて間もなく気が付いた人、

とでもいいましょうか。

 

その人はとても綺麗な銀髪なので

通りの向かい側を歩いていても気が付くのです。

おかっぱ頭のように首の辺りで切りそろえた豊かな髪が

歩くたびに光って見えます。

 

しかし身体の方は、色々問題がありそうで。

問題点のほとんどは体重にありそう。

それを長年支えている腰がもう限界を超えていて

上半身はほぼ直角に地面の方を向いています。

長いこと歩き続けるのが辛そう。

少し歩いては立ち止まり、息を整えてまた歩き出す。

 

その状態を見るとかなりの高齢に見えますが

足取りは不屈の精神が支えているらしく

案外しっかりしています。

なので外見よりも実は案外若いのではないか、

と思ってしまうのです。

 

この十年位の間に

女性の歳は外見では分からないと実感したもので

そんな風に感じてしまうのかもしれません。

出かけるたびに見かけるので

その人をいつしか勝手に「銀髪老女」と名付けました。

 

やがて、その人の住まいが私のそれと意外と近いことも分かり

お互いにたびたび顔を合わせるので

向こうでも私を認識したようで

すれ違う時、ほんの一瞬、会釈までいかない一呼吸が生まれるのでした。

 

しかし一時期、数か月間全く出会わなかったときがあり

そういえば…どうしたのだろう?

身体の具合が悪いのか、入院したのか引っ越したのか。

そう思っていたら、またバッタリ会ったりして

元気だったのかと安心したり。

 

そんなある日、久しぶりに向かい側を銀髪老女が歩いているのを見かけ

どこへ行くのだろう、大丈夫かしらん。

思わず足を止めて、じっと見つめてしまいました。

 

銀髪老女はマイペースで歩いたり止まったりしながら

先の方の交差点の前で立ち止まりました。

信号が変わるのを待っているらしい。

 

そしていきなり振り返り、こっちの方を見たのです。

 

そこから私のいる所まではかなり距離があり

車が行き交い、人も歩いているので

私まで視線は届かないとは思いますが

何か誰かに見られてるという感覚はあり

振り返ったのだと思います。

 

鋭い人だな。

 

よほどの事がない限り

この人と言葉を交わす間柄にはならないでしょう。

 

…ホントは何歳で、どういう人生を送ってきたのか

好奇心満載の私は知りたくてたまらないのですが。

 

そんな銀髪老女と逢魔が時の道端で出会ったというのがまた

映画の中の出来事のようで

とても驚いたのでした。

 

 

 

 

 

こちらは先日、団地を通り抜けたときに見た赤バラ。

きっと一年間丹精して、これだけの花を咲かせたのでしょう。

赤いバラは団地にあってもバッキンガム宮殿にあっても

他の花とは違う存在感を漂わせていますね。

 

あ、バッキンガム宮殿へ行ったことないですけど口笛