昨日は別記事を挟みましたが本郷散歩の続きです。

 

話は最初に戻りますが、讃岐金毘羅宮東京分社をお参りしたあと

いよいよ急坂を登ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここは前回ゴール地点から仰ぎ見た坂です。

ジグザグに急こう配が続いているので

覚悟を決めて歩き出しました。

 

 

 

 

でも、こういう塀とか階段が好きなので

ついよそ見しちゃうんですわ。

これは坂の際にあり今は使われていないもの。

この先で…

 

 

 

 

すでに断崖絶壁なので下を覗いてみる。

 

 

 

 

 

ここから下へは降りられません。

東京都立工芸高等学校の敷地です。

 

 

 

 

 

こういう古い柵も好きなので、つい写してしまう。

…後で坂そのものを写していないことに気付くけれどもう遅いわ。

 

 

 

 

 

 

途中に坂の名前の説明板がありました。

忠弥坂というそうな。

丸橋忠弥の名は聞いたことがあるような?

 

 

 

 

 

 

その先の横道を見たところ。

下った先は外堀通りですね、

ここも凄い急坂です。

 

 

 

 

 

この表示板で、ここが元町小学校改修工事の場所と分かりました。

この前、横や下から見た所です。

 

 

 

 

 

そしてめでたく本郷給水所公苑へ着いたのでした。

 

この塀に旧町名「元町」の説明板があり要約すると

元禄4年(1691)徳川家康の江戸入りに従って三河から来た供衆が

内神田の三河町から移ってきて

元禄9年(1696)に町屋を開いた。

この辺りの拝領地として最も古い方なので元町と名付けた。

とあります。

 

元町小学校の名もそこから採ったものですね。

前回、街角に立つ掲示板から

町会名として今もその名が残っているのを知りました。

 

ところで暑いなか必死に上ってきたのに

急坂の様子を全然写していないので

帰り道に、今度もこの坂を下ってみました。

 

 

 

 

 

気斜度が10%って凄くないですか!

 

しかしながらまた途中でよそ見して…

 

 

 

 

これはもしかして昭和のビルだろうか

面白い造りだな、とか…

 

 

 

 

 

これが名門の桜蔭中学・高校か!

さすが仰ぎ見る立地にあるわ…

 

などと感心しつつ下って行き

 

 

 

 

 

やっぱりほとんど坂道は写していないのでしたアセアセ

 

 

 

 

 

それでも辛うじて下界を写して着地し

その後、地下鉄に潜りました。

 

今、川についての本を読んでいて

古代から近世に至る川の流路の変化など知り

川に削られなかった台地が

後世の町づくりで果たした役割なども面白く読み進んでいます。

 

なのでここが本郷台地らしいという実感だけは踏みしめました。

 

しかしながら中身が濃すぎて

なかなか徳川家康公が江戸入りしたあとが進みません。

何の偶然か

私は一足早く元町や三河稲荷神社に着いちゃったのですね笑い

 

千鳥足の?本郷散歩に

最後までお付き合いいただきありがとうございましたお願い