「神田川沿いを歩く」と称してお散歩してきましたが

柳橋から隅田川へ流れていくのを見送り

ここで一段落しました。

振り返ってみると、

むしろ神田川に付き添ってもらったお散歩だったかも?

とにかく川さえ見失わなければ迷子にならず先進めたので。

 

しかしそれだけでなく、ずいぶん色々な事を教えて貰いました。

 

実は歩きながらしばらく頭から離れなかった疑問が

「神田川は本当に人工の川なのだろうか?」

 

流れる水は自然の産物だし

延々と流れ下る川の姿は辺りにすっかり溶け込んでいるし。

 

橋巡りを始めたのは高田馬場周辺からで

その流域で染物をしていた工房も見学したし

その少し下流では鰻の卸売業者が生け簀を置いていたということで

今でも老舗の鰻屋さんが多いのに気が付いたり。

関口に堰があり上水とした説明板も見たし

水道橋で樋を渡した絵も見て

水道博物館へも行き、神田上水の説明もしてもらったし。

 

それでも何となくモヤモヤしていたのが

神田に入り、今なお残る町割りと「河岸」の名が付く町名を見て

左衛門橋で、とうとう川に浮かぶ船を見たとき

これほどまでに川が担っている役割に

ようやく気付いたのでした。

 

こうして並べてみると、

まるで小学生の社会科見学みたいですが

実際私の頭が小学生レベルなので。

(いや、現代の小学生はもっと賢いか?)

 

いくら説明を読んでも理解できなかったことが

実際に足を動かして、この目で見て

ようやく実感できたのでした。

 

それにしても…

始めに徳川家康が江戸にやってきたときは

今よりずっと海が内陸に入り込んでいて

葦が茂るわ湿地帯ばかりだわ

ホントの寒村、パッとしない土地だったらしい。

太田道灌の築いた城とは名ばかりで

井戸を掘っても出るのは塩水ばかり。

家臣が寝起きする家屋を建てる場所もままならなかったとか。

 

それが江戸中期には人口が100万を超える巨大都市になっていくとは。

飲料水の確保と水運利用のため川が果たした役割の大きさに

今さらながら気づきましたわ。

 

もちろん今の神田川がすぐ出来たわけではなく

何代にも渡り天下普請を行った結果ですが。

だとしても、治水、土木工事の知識や技術はハンパない

もはや人智の及ばぬレベルでは?(←おい!)

 

いわば土地の力を総動員して作り上げたともいえるわけで

それだけのパワーを持った土地だったのでしょうか

江戸というところは。

 

そんな風土を感じられ

いわば時代散歩が出来たのは

川に付き添って貰ったお陰ですわ。

 

でも、気になることはまだまだあって。

 

水運に頼ることもなくなり

川に関わる産業も失われ

これから都市を流れる川はどうなるんでしょうか。

地球規模の気候変動が起こりつつある今

記録的な豪雨などに耐えられるのでしょうか。

 

そこで図書館へ行ってみたら

グッドタイミングな本に出会いました。

 

「江戸の川 東京の川」鈴木理生著 井上書院発行

(初版昭和52年、平成元年に再版)

 

鈴木理生氏の本は以前も読んでいたので

またここで出会えて嬉しいです。

 

 

 

 

 

これは左衛門橋で下流方向を見たところ

船はほとんど観光用でしょうが

昔の姿を彷彿とさせる光景でした。

 

これからも川に付き添ってもらいながら

ときどき上流方向を歩きたいです。