両国橋でレトロな建物を見たあと
その界隈も歩いてみたかったのですが
神田川を置き去りにしたのが気になり(笑)
この前見かけた場所にも行ってみたかったので
浅草橋方向へ戻ることにしました。
道路側から見た柳橋。
この川沿い、さっきと反対側の道を歩いて戻りました。
その道は護岸の塀が高くて何も見えず、ただの路地でしたけど。
そこから気になっていた場所へ行こうと信号待ちをしていたら…
うわっ
いきなり出現したレトロビル。
こ、これはいったい?
次の瞬間、これは有名なビルなのだろうと思いました。
後で千代田区観光協会のサイトを見て
このビルは玉置文治郎ビル。昭和4年(1929)建設で
震災復興商業ビルだと分かりました。
鉄筋コンクリート造り、地上4階地下1階で
薬品問屋店舗兼住宅。
筋面タイル(←スクラッチタイルのこと?)やテラコッタを用い
幾何学模様を装飾に取り込んだ外観。
設計は辰野金吾のもとで学んだ森山松之助だそうです。
それにしても、戦火を受けながら
よくこれだけ立派に残っていますね。
あまりに立派なので、学校か美術館のように見えますが
新しいビルに囲まれてしまったのが残念です。
もしかしてかつては同じようなビルが並んでいたのでしょうか。
さて、この前の通りを見たら
何のことはない、両国橋から続いた道でした。
ちょっと寄り道しただけか
この通りを渡り、見たかったのは路地にかかるアーチです。
後で分かったのですが、このアーチは一か所だけでなく
道ごとに付いていたのですね。
この日は休日だったので問屋街もほとんど閉まっていました。
さて、この後、もう一か所写したいビルがあり
また戻ってきて写したのですが…
帰ってきて見返したら、あまりにも酷い画像で_| ̄|○
いやあ、私の記事に誰も何も期待してないとは思うものの
あまりにも杜撰で自分を疑うレベル
これでは写したビルが気の毒だわ。
どうしようか悩んだ挙句、翌日リベンジすることに
つまり(ここだけの話、恥ずかしながら)
もう一度行ったんですわ
ここで気が付いたのは
浅草橋までは飯田橋からJRで行ったのですが
ここ馬喰町なら都営地下鉄新宿線で馬喰横山駅へ行けば近いのでは?
ということで。。。
やってきましたよ、新宿線馬喰横山駅。
これは地上に出たら目の前にあった案内地図。
これをしげしげと見たものの、あまり助けにならなかったです。
浅草橋がどっちか全く分からないの。
でも、まあ同じ日本だからなんとかなるでしょ。
それに、すぐ目の前にこんなビルがあったもので
すっかり気を取られちゃって。
とても綺麗にリニュアルしているけれど
このビルも古よね?
さらに目の前の通りに吸い寄せられ…
ここはビルの1階ですがゼッタイ老舗でしょ!
向かい側の店もビルだけれど
看板を見れば老舗だと分かります。
もう、こうなったらこの界隈を歩き倒すしかないと(←おいおい!)
通りをジグザグに進んだり角を曲がったりして
見て歩きました。
この日はGWの間とはいえ平日なので
お店も開いていたし勤め人もいて活気がありました。
婦人服の店ですが小売りはしていないそうな。
右側は看板じゃなくて黄色いビル
ウロウロしていたら「鞍掛橋」という交差点へ出ました。
橋って?川とはだいぶ前にお別れしたはずなのに?
後で調べたら、ここには浜町川という川が流れていて
明治16年に神田堀に繋げる掘削工事をしたそうな。
というのも開業した秋葉原貨物駅(現在の秋葉原駅)へ
水運で荷物を運ぶためだったと!
おお!
これ、気になっていたんですわ。
初期のブラタモリでも秋葉原駅が神田川と掘割で繋がっていたと。
その痕跡を探したかったけれど
なんせ秋葉原駅は人混みで、メゲるんですねえ。
ところで後で地図を見たら
ワタクシ、全然反対方向へ歩いてますね
この時はヤケクソで歩き続けて…
色々新しいビルがあるのに
どうしてもカオスを求めてしまうのです。
途中にあったこの花壇は綺麗でした
こんな素敵なお店もありましたが…
でも問屋街なので小売りしていないのです。
指を咥えて通り過ぎました。
そしてやっとどこかで軌道修正したらしく(←おい!)
目指すビルが見えて来ました。
右から二番目の灰色のビルです。
イーグルビル
昭和初期に建てられ、耐震耐火建設のため
戦火を免れたそうです。
木に遮られていますが、一階は落ち着いたカフェになっています。
今度時間があるとき、ここでお茶したいです。
交差点の角で、今も凛とした姿を保ち続けるイーグルビル。
今回は神田川沿いから思いがけず問屋街まで行ってしまいました。
今まで全くご縁のなかった横山町や馬喰町ですが
調べてみると案外レトロビルが残っている地域なのですね。
写真を取り直すために出かけたのが
さらに深みにはまるかも?
画像の方は相変わらずお粗末様ですが