この前偶然に三崎稲荷神社に出会い

その数奇ともえる移転の経緯を知ったとき

もう一つ意外な歴史を知りました。

 

神田三崎町は、かつて陸軍の練兵場だったのを

その後、三菱合弁会社に払い下げられ

当時としてはかなりモダンな煉瓦長屋と呼ばれる商店街を作って分譲したそうな。

神田は古い町ですが、この三崎町だけは明治以降に生まれた

新しい町だったのです。

その時から三崎町へ住むことになった人たちは

三崎稲荷神社を中心にして町会の結束が固く

町名変更など断固反対したそうな。

 

三崎稲荷神社で感じた暖かく熱い雰囲気は

他所から移り住んだ人たちが

同じように移転を繰り返した神社に寄せた想いだったのかもしれません。

 

この歴史の中で見つけた「煉瓦長屋」という言葉がとても気になって

今はその面影はないでしょうが

神田三崎町という町を歩いてみたいと思いました。

 

 

 

 

まず、もう一度三崎稲荷神社へ伺い

再会のご挨拶をしました。

(この画像は前回のもの)

 

 

 

 

こちらは今回写させて頂いた手水。

富士塚に似た岩石の下から水が流れていますが

山の稜線?の両側には

小さな狛犬さんと狐さんがいます。

 

 

 

 

 

反対側の狛犬さんと狐さん。

 

 

 

 

 

代々木アニメーション学院が奉納した干支絵

龍さん、可愛いです笑い

 

 

 

 

 

さて神社を出たものの

何の当てもないまま、ほっつき歩きました。

でも、ご覧の通りどこもビルばかりで

人が暮らしている雰囲気はまるでありません。

 

 

 

横道を幾つも曲がりましたが…

 

 

 

 

辛うじて古いビルを見つけたものの

向こうから話しかけてくれないので

レトロビルではないのかな?

 

 

 

 

 

このビルもビミョーに違うかな。

 

 

 

 

 

しばらく歩いて、綺麗に整備された歩道に出ました。

 

 

 

 

 

その横にこんな案内図あり。

何気なくそれを見て進んで行くと…

 

 

 

 

 

西神田公園という広い公園に出ました。

この丸いベンチの反対側には…

 

 

 

 

とても古そうなプレートが嵌めてあります。

ここは古くからの公園らしい。

 

 

 

 

 

もの凄く広い公園です。

後で調べたら2000㎡ですって。

 

 

 

 

入り口付近に町名由来板がありました。

 

 

 

 

 

 

ここは現在、西神田という町名。

かつての小川町なんだ!

 

かつて町名変更が行われた際

三崎町の住民は断固反対してその名を残したのですが

反対しなかったら西神田になるところだったようです。

 

 

 

 

 

その横に「たわわの小径」という立て札あり。

目を上げると…

 

 

 

 

金柑がたくさん生っていました。

西神田で見る金柑!?

 

ところで広い公園を見渡したら

反対側の隅に煉瓦らしきものがあり

近寄ってみました。

 

 

 

 

 

煉瓦で囲った花壇の横に

とても古い煉瓦を組み合わせたベンチがありました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その続きで階段があり、門がある

けれどその先は通行止め。

 

 

 

 

 

この門は何の意味があるのだろう。

 

 

煉瓦のベンチも花壇の囲いも

デザインがあか抜けない(←ごめんなさい)重厚な感じ。

これは古いでしょう。

 

 

後で調べたら、この公園も小学校とセットの震災復興公園でした。

つい最近、本郷で元町小学校と元町公園を見たばかり。

 

開園は昭和5年(1930)でした。

隣接する西神田小学校は1993年に統廃合のため廃校になり

その跡地が、ついさっき見た西神田コスモス館でした。

この公園も平成12年(2000)バリアフリー化の工事を行い

地域の防災施設としての役割が大きいようです。

 

目に付いた煉瓦のベンチや花壇は

開園当時のものでしょうか。

 

三崎町で見られなかった煉瓦の面影を

ここで見ることが出来たのかな?

 

それにしても…

この一帯の変わりようは凄まじく

昔を偲ぶ余地は全く残っていないみたい。

トボトボと公園の反対側から出て

ふと先の方を見ると…

 

 

 

 

 

ええええええ?

 

何ですか、あの、横綱級のレトロ建築は?

 

ということで行ってみましたダッシュダッシュダッシュ

この続きはまた明日ねバイバイ