うちの近所に話好きなお爺さんがいる。
自宅を賃貸マンションにして、お婆さんと二人で悠々自適。
でもお婆さんから室内でタバコを吸うのを禁じられているとかで、いつも自宅から10歩ばかりの道の角に来て、タバコを吸ってる。
その道は駅に通じているので、色々な人が通る。
顔見知りを見つけると、無邪気な笑顔で話しかけるのだ。
顔見知りのみならず、宅配便のお兄さん、道路工事のガードマン、子供連れ、犬の散歩の人、隙あらば歩み寄って話しかける。
お年寄りに話しかけられると、みんな断ることが出来ず、一応愛想良く返事をするものの、急いでいる人も多いわけで・・・
適当に返事をしながら一歩ずつ後ずさりするが、お爺さんはその分一歩前に出る。
お爺さんは、赤坂生まれの赤坂育ち。ずっと地元で生きてきた人だ。
確か大正のお生まれだった。
お爺さんの話はほとんど昔話で・・・
小さい時はワルガキで、山王神社のお賽銭を盗んで捕まったとか、案外気持ちは優しくて子猫を助けたとか。
戦争で南の島に行って九死に一生を得たとか。
戦前の赤坂、青山の町の様子とか・・・
お爺さんの話には、悪口や自慢話は出てこずに、笑って切り上げる後味の良さがある。
昔の町の様子に興味のある私には、とても面白い話ではあるけど・・・
でも忙しい時も多いので、遠くにお爺さんの姿を見つけると、回り道してそっと通り過ぎることもある。
お爺さんは、庭で桜草を育てている。
どこかの山で自生していた草の種を増やしている、というのが数少ない自慢のタネ。
細長いプランターをいくつも並べ、そこに毎年種を撒くらしい。
春の半ば、草が育って花を付けるころになると、そのプランターをマンションの入り口に並べる。
最初は淡い花が、気温が上がるにつれて濃さを増し、花の数も増えてくる。
通りすがりに見るたびに、花が勢いを増して、足元が小さな桃色の花の波に埋まる。
桜草 桜の草
お爺さんの桜草を見て、花の名前の意味が分かったような気がする。
この春、お爺さんは珍しくしばらく入院した。
糖尿病の検査入院だったらしい。
退院してきて、お爺さんはいつものように桜草のプランターをマンションの前に置いた。
でも、今年の桜草は、どういうわけか元気がなかった。
淡い色のまま、そっと姿を消した。
お爺さんの身体も一回り小さくなったような気がする。
ご本人は、いつもと同じように道の角でタバコを吸っている。
人の命には限りがあるけれど・・・
お爺さんは幸せな人だなあ、と思う。
遠からず、千の風にはなれなくても、町を吹き抜ける風になって、ずっと私達を見守っているだろう・・・と信じられる人だから。
・・・・って、まだお元気なんですけどね。
すんません
残念ながらお爺さんの桜草は写していません