ミッドタウンは、私の家から歩いて10分くらいのところにある。

前にも書いたけど「良いところにお住まいですね」といわれると、やや当惑。

家の周りの人たちも、先代、先々代と地味に暮らしているうちに、時代の波が押し寄せて、あれよあれよという間に、トレンドの街になっちゃったのだ。

今でも地元のお年寄りは

「ほら、あの、防衛庁の跡にできた、あそこ・・・なんていったかねえ?」

という。ミッドタウンという名前が覚えられないのだ。


かつて防衛庁だった頃、地元民へのサービスとして敷地内にあるクリーニング店や売店は利用できた。クリーニング店は、かなり安かったので近所の人は利用していた。厳しい門番のいる門を通り、守衛室みたいな所で住所と名前、利用時間を書き、敷地の一番奥にある店まで行ったことがある。

防衛庁は「ボーエーチョー」という町だと思い込んでいた子もいる。

小学校に行って、社会の時間に日本の官公庁の名前を習ったとき「防衛庁」という名前を聞いて

「防衛庁?・・・ボーエーチョー!?・・・ひらめき電球ひらめき電球

と、初めて理解したとか。(私じゃありません!)


連休とりあえず最後の日に、ちょっとひと回り、お散歩してきました。



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六本木入り口の横にある、公園に続く遊歩道。

白く見えるのは、さりげない噴水。小川もあって休日の午後は、ワンちゃんたちにも憩いのお散歩コース。  ファッショナブルなコスチュームに身を包んだワンちゃんたちに会える。

私が一番たまげたのは、お正月に紋付袴のポメラニアンに出会ったとき。他にもチャイナドレスのシーズーやセーラー服のプードルなど、セレブわんこに多数出会える場所。


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遊歩道を回りこむと、赤坂に面した出入り口に着く。左側がホテル・リッツカールトン


そしてこの先に・・・

今日のタイトルにしちゃった都市伝説になってる公園が広がっているのです。


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ここはミッドタウンの敷地に繋がっている「桧町公園」

ごく普通ののどかな公園に見えますね。

真ん中に見える赤いものは現代風なデザインの滑り台です。

たしか1年前、スマップの草薙君がちょっと羽目を外して事件になっちゃった所です。

これを聞いたとき、「はは~ん、やっぱりね~」と思った人は多いはず。


この辺りは江戸時代は長州藩毛利家の屋敷。

明治維新で官有地となり、その後は陸軍第一師団歩兵第一連隊(麻布一連隊)の敷地となった。

敗戦後は米軍に接収され、日本に返還されたのは昭和33年のこと。

以後、防衛庁の敷地となったのだ。


以前の桧町公園は防衛庁の塀のすぐ外にあり、毛利家の時からあった池がそのまま公園の中心になっていた。

ここでザリガニ釣りをした思い出がある人も多いはず。

毛利家時代には、この池の中洲に毛利家由来の稲荷社があったという。

陸軍時代には厳寒の季節に、この池で初年兵の過酷な訓練が行われ、心身共に異常をきたしたり、亡くなった人も多かったという。

進駐軍が駐留していた頃、この辺りで日本兵の幽霊目撃談がいくつもあったらしい。

さらに、アメリカ兵と日本人のメイドの不倫関係の果ての無理心中も、この池のあたりで起こり、以後深夜の銃声や、女の幽霊の目撃談もあったという。


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ミッドタウンの建設に伴い、隣接する桧町公園も池も大幅に改修され、今では風光明媚な観光地のようなたたずまいになった。

瀟洒な東屋もあって、お弁当を食べたりお茶を飲みながら、ゆっくり水辺の景観を楽しむことができる。

東屋の横には大きな藤棚があり、白と紫の花が初夏の風に揺れていた。

今日は生憎の曇り空だったけど、晴れた日には大人も子供も犬も鳥も虫たちも、のんびり日向ぼっこができる場所だ。


どこの土地にも、たくさんの汗や涙が沁み込んでいるものなのだろう。

生まれてからずっと平和な国で暮らしてきて、それが当たり前だと思ってきたけど・・・

最近、それがどんなに貴重なものか身に沁みて分かった。

この穏やかな日々を大切に守って、新しい土地の明るい記憶を作っていくのは、今生きてる私たちの大事な勤めなのだろう。

なんて思いながら帰ってきた。


そういえば今日は、こどもの日でしたね。