2月の半ば、兄のように思っている従兄弟が亡くなった。
私の母は7人兄妹の末っ子で、その従兄弟は母の一番上の姉の息子なので、歳はずいぶん離れている。
その昔、母の田舎から出てきた従兄弟は、大学生の間はうちで暮らしていた。
小さい私は従兄弟を本当の「お兄ちゃん」だと思いこんでいて、みんなに笑われても何が可笑しいのか分からずキョトンとしていた。
社会人になってからは独立し、結婚したり転勤になったりして、だんだん会わなくなったけど、たまに会うと時間は昔に戻ってしまう。
従兄弟は、精力的に仕事をこなし、それなりの社会的な地位も築いた。
その分、かなり無理もしたと思う。
中年以降になって何度も倒れた。
それでも「ボチボチやってるよ」、と聞いていたので病状が深刻になっているとは夢にも思わなかった。
会おうと思えばいつでも会える、と思っていた。
急変を聞いて駆けつけたときは、もう意識が無かった。
でも奥さんが「会いたがっていると思ったから」と知らせてくれたのだ。
従兄弟は、自宅のベッドで静かに眠っていた。
従兄弟が慣れ親しんだ自分の部屋に居られることが、何より有難かった。
私は、心の中で「あんなことがあったね」「こんなことがあったね」と昔の話をして、帰ってきた。
思い出の中の私達は、いつもお日様の下で笑っていた。
次の日、従兄弟は静かに旅立っていった。
お葬式の日。
お坊さんの読経のあと、「喪主さまからお焼香を・・・」
と促されて、従兄弟の奥さんが前に進み出た。
そして棺に向かって一礼した。
そのお辞儀は、私がかつて見たことの無いものだった。
長い間、一緒に暮らしてきた妻が夫に最後のお別れをしている。
今までに、きっといろいろなことがあったと思う。
万感の思いを込めて頭を下げている姿には、夫という一人の人間に対しての過不足ない敬意が現れていた。
こんな風に妻に頭を下げて送ってもらえる従兄弟は幸せだなあ、と思ったら初めて涙がでた。
一回のお辞儀の中に夫婦生活の全てがあった。
従兄弟は死してなお、男を上げたのだった。
「人間は生きてるうちに二度は主役になれるな。一回目は結婚式で、二回目は葬式。だけど自分の葬式ってもんは、なんか、こそばゆいっていうか、調子が出ねえもんだなあ。みんな俺のことをやたら褒めてくれてさ、そんなに立派だったか?俺?まあ、いいや、後は適当にやってくんな」
と、いつもの巻き舌でテレながら笑っている従兄弟の顔が浮かんだ。