昨日「芝公園の大銀杏」を書いたあと、何だか大事なことを書き忘れたような気がして、落ち着かなかった。
はて・・・・なんだろう?
きっと大銀杏に色々教えてもらったのに、復習せずにいたんだわ。
先週の水曜日、久しぶりに銀杏の木に会いにいったとき
いつもの古びた階段を上っているときから鳥の声の賑やかさに驚いていた。
秋には、しんと静まり返って、ときおりカラスが侵入者を威嚇するようにわめくだけ。
春は花を咲かせるだけでなく、鳥たちもありったけのエネルギーを使って新所帯を作ろうとしているみたい。
ヒヨドリやムクドリといった、大きめの鳥たちが啼きながら地面を突付いたり枝から枝へ飛び移ったり、落ち着きが無い。
賑やかな鳥の合唱に驚いて、銀杏の梢を見上げたとき
高い枝の間から、何か白いものがフワリと落ちて来た。
何だろう?と思わず手を伸ばしたら、私の開いた手のひらに滑り込むように
収まった。
それは小さな白い羽根だった。
天使がここにいるのかな? なんちゃって・・・
でも、この場所に来てもいいよ、と銀杏からメッセージを貰ったような気がした。
大銀杏には立派な注連縄が巻かれている。
注連縄を巻いて奉るのも人間、海を遠ざけ、辺りをコンクリートで固めてビルを建てたのも人間だ。
銀杏は長く生きている間に、鳥も虫も風も光も、雪や嵐でさえも自分の一部として受け入れてきたのだろう。
たぶん長い人生の中で、一番注意しなければならないのは人間だと気が付いている。
それは、ちょっと悲しいね。
日本人は古来、全ての自然の中に神をみた。
大きな木や石にも、自然の計り知れないエネルギーを感じて、畏れ敬うことで折り合いを付けて生きてきたのだと思う。
それなのに今、私達は自分の手に余るエネルギーを作り出して、使いこなせると思ってしまった。
人間は自然の一部として、この地球に寄り添って生きて、いや活かしてもらっているはずなのに・・・
大銀杏が私に説教をしたわけではない。
それどころか、人間どもがどうなろうと、俺はずっとここにいるだけさ、と突き放されたような気がする。
大銀杏の根っこは、きっと地球の真ん中まで伸びているんだろうな。