うちの近くに小さなスーパーがある。
地下鉄の駅に続く道に通じているとはいうものの、住宅街の中に唐突に1軒だけ。近くに店らしきものは無い。
小さなマンションの半地下が売り場になっている。
店の名前は別にあるが、私はこの店を密かに「青山村よろずや」と呼んでいる。
入り口から数段の階段を降りると、店の中は足の踏み場もないほど商品が溢れている。
野菜、果物、肉、魚といった生鮮食品をはじめ、菓子、パン類、飲料、調味料、弁当など食品。
トイレットペーパー、ティッシュペーパー、洗剤、ゴミ袋などの雑貨。
猫缶、猫砂などペット用品。
店の外には「本日のお買い得品」や、箒、ちりとりなどかさ張る物が山積み。
更に文房具や最近見かけなくなった古いタイプの蛍光灯もある。
この近くには大きなスーパーがない。(以前はあったが潰れた)
かなり離れたところにある大きめの店に行くためには、自家用車か自転車、または地下鉄をひと駅乗る・・・・
さもなければコープなどで宅配を頼む。
仕事帰りに他の街で買い物をしてくる。
・・・つまりこの地域に住む人たちは買い物難民に近いのだ。
元気な人たちは、こういう環境に慣れているから別に何とも思わないが、一人暮らしのお年寄りは、遠出出来ないし、コープなどの手続きも難しいだろう。
だから、この店はお年寄りにとっては命の綱と呼んでもいいと思う。
この店の店長は60代半ばと思われる大人しそうなおじさん。
仮にも「長」と名がつく立場なんだから、もう少しエラそうにしててもいいんじゃないかと思うほど、影の薄い人だ。
通りすがりに挨拶するだけでも申し訳なさそうな様子。
その分、パートのオバちゃんやお姉ちゃんは常に元気一杯で力強い。
足の悪いお年寄りの常連さんは、入り口から階段の下へ声を掛ける。
するとレジにいるオバちゃんやお姉ちゃんが走ってきて、注文を聞き、品物を揃えて入り口まで届ける。
配達はしないが、重い物は家の近くまで一緒に持っていってあげることもある。
遠くからわざわざ買い物に来る人はいないから、みんな顔見知りで常連さん。
私は近所のことで分からないことがあると、買い物ついでに聞いてくる。
レジにいるのは幼馴染のご近所さんでもある人。
猫の消息から、裏のお婆ちゃんの健康状態まで、なんでも分かる。
逆もまた真なり、というわけでわが身の情報管理はしっかりせねば、とも思うけど。
ある日の夕方、私はレジに並んでいた。
私の前で買い物をしようとしているのは幼稚園の年中さんくらいの女の子。
台所用洗剤を一本持っている。
レジに入っているのは、この時間には珍しく店長だ。
多分女の子は、お母さんに頼まれて買い物に来ているんだろう。
店長が値段をいうと、緊張した面持ちで赤い小銭入れからコインを出し始めた。
小さな指で、一枚ずつ出している。
キュッと結んだ口元から、
「おかねをまちがえないように、ちゃんとかぞえてわたす」
という気持ちが伝わってくる。
しかし、コインは中々全部揃わない。
せっかちな私は、スーパーのレジで手間取るのが何より苦手。
この調子じゃ、カタツムリが世界一周するほうが速いくらいだ・・・
と心の中でため息をついた。
でも店長は、何もいわず静かに待っている。
永遠と思われるほどの時間が過ぎて、やっとお金が揃うと店長は何事もなかったようにレジを打ち、レシートを渡しながら
「ありがとうございました」といった。まるで大人の人にいうように。
そのとき初めて私は、女の子が普通に、一人前の仕事が出来たんだ、ということに気が付いた。
もしお金を数えているときに手伝ってあげたり、レシートを渡すときに「気をつけてね」なんていったら、この子は単なる「子供の使い」だ。
でも自分の財布から自分でお金をきっちり出して、お店の人から「ありがとうございました」といわれたら、大人のお客と同じだ。
店長がそこまで考えていたかどうかは不明だが・・・
この店では、決して先を急いではいけない、ということを学んだ。
この店の隣にチョロ松という赤茶の猫がいる。
なかなかのイケメンなのだが気が強く、この辺り一帯を仕切っている。
通りすがりに挨拶すると、かったるそうに目を上げて
「おう、お前か。挨拶なんかいいから、さっさ通りな」
という感じで通行を許可される。
神出鬼没なので、残念ながらまだ撮影に成功しておりません。