私は東京港区の青山に住んでいる。
初対面の人は、たいがい「良いところにお住まいですね」と言ってくださる。
青山という街は今や、赤坂や表参道、渋谷に繋がるお洒落なエリア。
そこはかとなく高級感の漂う街で、その分何もかもお高いイメージ。
だからこの街を選んで住む方々は、かなりの経済力が必要だと思われる。
私は、単に実家があるから住んでいるだけで、経済力があるわけじゃないのだ。
しかも青山にも色々なエリアがあり、実家のある辺りは小さな家々が立ち並び昔から変わらず住み続けている人が多い、地味なところだ。
でも「良いところに・・・」といってくださる方に、そんな説明をするのも何だか嫌味だし、妙に卑屈な感じがする。だから曖昧な薄笑いを浮かべつつ「ええ、まあ・・」といって済ませてしまう。
先日テレビを見ていたら、地震で被災し、別の地域に避難している人に
「今まで住んでいたところに戻りたいですか?」
とインタビューしていた。答えたのは、働き盛りといった40代半ばの精悍な感じの男性。しっかりとした言葉で
「はい、住んでいた土地が恋しいです。絶対戻って暮らしたいです。」
といっていた。
このとき聞いた「恋しい」という言葉が、ずっと耳に残っている。
それまで精悍な男性が口にする類の言葉ではないと思っていた。
自分が生まれ育った土地に対して、誰憚ることなく「恋しい」という言葉を使う気持ちの強さに打たれた。
自分の家族はもちろん、親や、そのまた親もずっと住んでいた土地。
これからもずっと暮らしていくと信じていた土地。
身体の中に、その土地の空気や水が溶け込んでいる。
肉親と同じように、切っても切れない自分の一部のような土地。
日曜日の昼下がり、少し肌寒いけど桜はどのくらい咲いたかな?と近くの公園にいってみた。
桜の梢を見上げると、花の向こうに高いビル。
私は、この土地を「恋しい」と思う日があるかしらん?
と思いつつ、視線を足元に戻したら、何かがサササッと動く。
どこから来たのか茶トラの猫が私のすぐ近くまできて、お行儀よくきっちり座って、じっとこちらを見る。挨拶すると
「にゃにゃにゃ・・・」
とちゃんとお返事をする。
その様子が、ちょっと事務的。
いつも餌をくれる人と私を間違えているのかな?
私が餌を渡したら、お腹のポケットからハンコを出して手のひらにペタンと「受領印」を押してくれそうだ。
どこに行ってもこういう風に猫と出会う。
きっと私の身体から「餌やりオーラ」が出てるのね。
こんな風に、この街で、猫たちが生きているということも記しておこうかな。
お洒落といわれるこの街も、一歩中に入ると昔ながらの「村社会」が生きている。
そんな街の顔も記しておこうかな。
曖昧な笑顔で「ええ、まあ・・・」と答えなくてもいいように・・・
ミッドタウンに隣接する桧町公園の池 ビルが見えなければ何処かの温泉みたい?