タケゾーの新しい訪問先を発見したのは、隣に住んでいる友達だった。
この話をするために、うちと隣の家の立地状況を説明したほうがいいと思う。
うちも隣の家も坂の途中に建っている。
出入り口は、大通りからの抜け道に面している。うちの裏側は庭になっていて、チーちゃんが上ってしまったお宅の裏庭に続いている。
数年前に立て替えた隣の友人宅は、うちと同じ方向に出入り口があるが、その横に上下に使う階段がある。階段を下りると、その下にもう1階、事務所用の部屋がある。そちらは、上の出入り口とは、反対の方向に出入り口がある。そちらも住宅街の間に伸びた細い道に繋がっている。
つまり、うちも隣の友人宅の出入り口は、1階だが、階段を下りたところにある事務所も下の道に面した1階というつくりだ。
この事務所は小さな会社に貸していた。
社長は70代半ばのお爺さん。社員は3~4人で、家庭的な雰囲気の会社らしい。
友達は仕事をしているので、朝と夕方、出勤するときは階段を下りて、この会社の脇を通りアプローチを抜けて駅に行く。
この場所で友達は、たびたびタケゾーを見かけるようになった。
「あら、タケちゃん、おはよう!」
と友達が声をかけると、いつもは人懐こいタケゾーが妙によそよそしい。
「どちらさんですか?ボク、存じ上げないんですけど?」
と、目を合わせないようにしている。
「? ? ?」
何となく腑に落ちないまま、数日が過ぎた。
ある朝、友達がいつものようにアプローチを通りかかったとき。
タケゾーが会社のドアに向かって大きな声で鳴いている。
すると会社のドアが開いて
「おお、タマ、来たか・・・」
とお爺さん社長が、いそいそと餌の皿を持って出てきた。
タマって誰?もしかしてタケゾーのこと?
そっと様子を見ていると、タケゾーの声が合図になっているのか、あちこちから外猫が集まってくる。
お爺さんは、甲斐甲斐しく猫たちにご飯をあげている。
そしてタケゾー(ここではタマ)は、慣れた様子でお爺さんが開けたドアから、するりと会社の中へ入っていった。
「なるほど・・・そういうことだったのか!」
たくさんいる猫の中でもタケゾーは特別待遇らしい。
おばあちゃんがいなくなったので、タケゾーは新しい訪問先を開拓したとみえる。
お爺さんの自宅は世田谷で、時々奥さんや娘さんらしき人がBMWを運転して姿を見せる。女性陣はかなりセレブな雰囲気だとか。
しかし、友達にいわせると、お爺さんは「帰宅拒否症」だという。
夕方、他の社員が帰った後も、お爺さんはいつも残っている。
スーパーで缶ビールやつまみを買ってきて一人で晩酌をしているらしい。
家には寝に帰るだけなのか。
どういう家庭事情かしらないが、鬱屈した感情の反動で猫たちを可愛がっているような気もする。
おばあちゃんには「みーちゃん」と呼ばれていたが、今度は「タマ」だ。
「タ」の分だけ本名に近づいたのか?
タケゾーは、おばあちゃんの家に長居をして大騒ぎになったのを「まずい」と思ったのか、それともそんなことはとっくに忘れているのか(後者のような気はするが)
今回は、自宅と会社の滞留時間のバランスをうまくとっているつもりらしい。
友達からこの話を聞いて、私はしばらく様子をみることにした。
お爺さんはタケゾーだけでなく、他の猫にもご飯を出してくれるのだから、ありがたい。
最初に長々と説明した通り、うちとその会社はすぐ隣でありながら、高低さがあり出入り口が逆に付いているために、お爺さんと顔を会わせたことはなかった。
その分、友達が観察してくれるだろう。
友達も私と一緒に外猫の面倒をみていたから、たびたびお爺さんと猫の話をするようになった。
タケゾーが首輪をしているので、どこかの飼い猫だということは、お爺さんもわかっていた。タケゾーはどこの猫か?と聞かれたので、友達は隣の猫だと答えた。
そういうことをわきまえた上で、可愛がってくれるなら、それもいいかな、と思った。
そんな関係がしばらく続いた後、うちが引っ越すことになった。
友達は、自分が寂しくなると思う以前に、お爺さんのことを心配した。
いきなり話すとショックが大きいから、前もって話しておく・・・
友達から話を聞いたお爺さんはやっぱり大きなショックを受けたらしい。
「引っ越す前にはタマ(タケゾーだけど)の飼い主がご挨拶に伺うと思います」
という友達の言葉を聞いて、お爺さんは本当に寂しそうな顔をしていたという。
友達から、そんなやりとりを聞いた夜・・・
リビングでテレビを見ていると、外で誰かの声がする。
男の人のダミ声が
「たまぁ~、たまぁ~」といいながら近づいてくる。
お爺さんが、タケゾーを探しているのか、呼びにきたのか。
すでに夜は更けていて、静かな住宅街にダミ声が響き渡る。
私の隣でタケゾーは漠睡中・・・
「タマって!呼んでるよ!」
と私は嫌味っぽくタケゾーを突付いた。
タケゾーは、耳をピクッと動かしただけで、眠りこけている。
人間の私に聞こえるのだから、猫に聞こえないはずはない。
浮気がバレた亭主みたいに、猫も狸寝入りをするらしい。
それからしばらくは、朝はタケゾーが会社の前で鳴き、夜はお爺さんがうちの前で吼える、という日が続いた。
いよいよ引越しの日が近づいたので、お爺さんの好物だという辛子明太子を持って挨拶にいった。
私が名乗ると、お爺さんは「来るものが来た」という表情で、私を見た。
それから、今度引っ越す街の場所や環境を根掘り葉掘り聞かれた。
まるでお爺さんが飼い主で、私がお願いしてタケゾーを貰い受けるような雰囲気だ。
お爺さんは机の引き出しから「貴女が来たら渡そうと思ってた」といって、分厚い写真の束を手渡してくれた。
どの写真にも、タケゾーが得意そうな顔をして写っていた。
キャビネットの上のタケゾー 本棚に寄りかかるタケゾー
ソファーで丸くなっているタケゾー・・・
私はこれからもタケゾーと一緒にいるわけだから・・・
この写真はお爺さんの思い出にとっておいて欲しい、といったら
「この何倍も持ってるから、遠慮しないで」といわれた。
どんだけ写真を撮ったんだ?
引っ越した後も、お爺さんのことが気になって時々友達に尋ねていた。
それによると・・・
毎朝タケゾーが来て鳴かなくなったので、外猫もあまり集まらなくなった、という。
タケゾーという猫は寂しい人が分かるんだ、と今更ながらに気が付いた。