前に書いた通り、タケゾーは子猫のときに神奈川県の藤沢で保護され、連絡を貰った私は、カゴを持って小田急線の相模大野まで、迎えにいった。
小雨交じりの日曜日の午後だった。
タケゾーを受け取ってカゴに入れ、各駅停車でゴトンゴトンとのんびり揺れながら帰ってきた。
電車が多摩川を渡るころ雨はすっかりやんで、車窓から川原の上に広がる蜂蜜色の広い空が見えた。
ぼんやりとその空を見ながら、なんとなく、この子がうちに来たら何かが変わるような気がした。
変わりましたよ!確かに! 色々な意味で!
その頃住んでいた家は、細い道に面しており、その道は大通りからの抜け道になっていた。家と家の間を縫うようにクネクネとカーブが続いている。
この道を抜け道と知っている車は、カーブで速度を落としてくれるが、やたら飛ばす車も多く、猫の交通事故も後を絶たない。
面倒をみている猫を何回も失った場所だっだ。
だから今度うちに来る猫は絶対外に出さず、家の中で飼おうと決めていた。
少し前にうちの子になったメイちゃんは、家の中に落ち着いていた。
むしろ外に出るなんて恐ろしいことは絶対イヤ、という感じ。
ところがタケゾーは正反対。外が気になって仕方がない。
家の周りには色々な猫がいて、喧嘩をしたりご飯をねだったり、と猫の気配で満ち満ちている。
自分だけが家の中にいて、自由に飛びまわれないのが大いに不満!
窓から猫の姿を眺めては、
「うにゃら、うにゃら・・・」
としゃべりまくっていた。(タケゾーは、人間が呆れるくらいものすごくおしゃべりな猫なのだ)
何回も脱走しては、連れ戻され、それでもメゲずに何とか外に出ようとチャンスを狙っている。こちらも、そうはさせないと気を配る。
タケゾーと私の根競べみたいになってしまった。
そして、ここからがタケゾーの凄いところ・・・
なんと、タケゾーは執念で玄関のドアの下の方を齧ったり、爪で引っかいたりして自分が出られるくらいの穴を開けてしまったのだ。
・・・何回もこのくだりを人に話したが、聞いている人は話がここまで来ると皆
「ん?」という顔をする。
その気持ちはよく分かる。
タケゾーがやった事に驚くより前に「猫が齧ったくらいで穴が開いてしまうようなドアが付いている家に住んでいる私」にどんな顔をしたらいいのか分からなくなるらしい。
確かに本当に古い家でしたね。
だから都心で駅に近いのに、私なんかが借りられる家賃だったんです。
でも泥棒にも入られず(入りがいがないと判断されたのか?)たくさんの猫たちに出会えて面白い場所でしたよ。
その後、大家のお婆さんが生きているうちに土地を処分することになり、私も色々な事情があって、引越しました。だからこの家は、もうありません。
とにかくタケゾーはとても頭が良い猫だった。
人がいないときに少しずつ穴を大きくしていったのだから。
その執念たるや、「雨だれ石を穿つ(うがつ)」
ということわざ通り、タケゾーは猫の岩窟王になったわけ!
もちろん私も穴を埋めるべく、さまざまな工夫をした。
板を打ち付けたり、パテを塗ったり・・・
でもタケゾーは、そんな私の苦労を柱の影でじっと見ていたかと思うと・・・
私が立ち去るのを待って、ドアに近づき隙間に爪を入れ・・・
あっといまにパリンと板を剥がしていまうのだ。
私が長い時間を掛けて貼り付けた板を、1分くらいで剥がしちゃう。
つまり私が不器用だってことなんだけど・・・
私もタケゾーも大真面目なんだけど、さすがにこの時は笑っちゃった。
だって、私がした仕事を検分するみたいに、ススッと近づいていってパリンと剥がしちゃうんだから。そのタイミングたるや、もうコントだ。
そして私は根負けした。そんなに外に出たいなら、出してやろう。
たとえ交通事故に会って命を落としたとしても、家の中にいるより自由が良いなら、仕方がない。
タケゾーは晴れてマイドア(自分が開けた穴)から外へ出かけるようになった。
しかし、タケゾーにも大きな誤算があった。
タケゾーが出ていけるということは、他の猫が入ってくることもできる、ということだ。
台所にあるタケゾーとメイちゃんのご飯の皿で、いつのまに入ってきたのか見ず知らずの猫が悠々とご飯を食べていたりする。
一体猫たちは、どうしてここにご飯があるのが分かるのだろうか?
外猫は警戒心が強く、めったに家の奥まで入ってこないものなのに?
いつの間にか、うちの台所は定食屋みたいになってしまった。
タケゾーは自分が開けた穴のために、自分の家なのに、家の中に知らない猫がいて一瞬も気が抜けないというジレンマに陥ってしまった。
この状況は引越しするまで続いた。
晴れて外に出られるようになったのに、タケゾーは浮かない顔である。
そのあとタケゾーはどうしたか?
なんと、またまた新しいドラマを生み出したのだ!
お話の続きはまた今度