少し前に実家の本棚で古い本を見つけた。
イーディス・ホールデン著 岸田衿子 前田豊司 訳
1980年初版
普通の単行本よりやや大きめのハードカバー。
優しい筆遣いでイギリスの片田舎の自然をスケッチしている。
手に取ったときは、メルヘンチックなかわいらしい絵本かな、と思った。
ページをめくっていくうちに、著者の自然に対する愛情や真摯な視線に気が付いた。
一輪の花を、固い蕾から満開に咲き誇った様子まで描き、その時期に子育てをする鳥、ジネズミなどの生き物も注意深く観察しながら描いている。
初期のボタニカルアートといってもいいだろう。
イーディス・ホールデンは1871年イングランド中部キングスノートンに生まれ1920年に49歳で亡くなるまで、彫刻家の妻となりながら、挿絵画家として数冊の本を出している。
「カントリー・ダイアリー」は彼女が35歳のとき「四季を通じてイギリスの田園風物詩を、言葉と絵で書き残したもの」だという。
驚くべきことに、彼女の没後70年に偶然スケッチが発見され、改めてこの本が出版されたらしい。
急いで読む類の本ではないので、休みの日に少しずつ拾い読みしていた。
不思議なことに、ページをめくるたびに、鄙びた田園の風があふれ出してくる。
70年という時間も、遠い日本という国で出版されたという経緯も飛び越えて、小川のせせらぎや、鳥の声さえも聞こえてくるようだ。
叔母はこの本を読んだのかしら。
叔母と私は全然ソリが合わなかった。
叔母は生涯独身。公務員という職業柄が生まれ持った資質とコラボして
謹厳実直、質素倹約をムネとして、笑うのも沽券に関わるといった堅実を絵に描いたような生涯だった。
救いは花と猫が好きだったことぐらい。
いっぽう私は気難しい、ヘソ曲がりな子だったと思うけど、
大きくなってからは徐々にテリトリーを広げて
美味しいものだーい好き面白いこともだーい好き
好奇心のオモムくままに、あちこち首を突っ込んでは跳ね飛ばされて、
それでも「あー面白かった」と笑っていたい。
だから叔母とは気まずい、確執の記憶しか残っていない。
だけど今、叔母が残した本を興味深く読んでいる。
ページの中から今にも飛び立ちそうな雛鳥の姿や、晩秋の森で見つけたキノコの色に心を動かされている。
私も、そういうものたちが好きなんだ。
久しぶりに叔母のことを思いだした。私と叔母は案外似ているのかもしれない。
ふと思い立って、実家の庭をひと回りしてみた。
ずいぶん前になるけど、叔母が庭いじりをしていたのを思いだしたのだ。
それからもう、長い年月が経っているけど・・・
今までと違った視線で庭を眺めてみたら、次々と意外な発見をした。
南向きの縁側に面した庭(今は外猫ハルちゃんのお気に入り)には、ヒサカキ、南天、椿、角にヒイラギの古木・・・西には万年青、裏手にかけてぐるりと花しょうぶ、玄関と門のわずかなすき間には小笹・・・
玄関先にはご丁寧に大きな常滑焼に植えられた万年青が今も青々と葉を伸ばしている。
これらの植物は皆、古来から魔よけに使われたものだ。
叔母は時間を見つけては、せっせと家の周りに魔よけの草木を植えていたらしい。
なんだか、ちょっと笑っちゃう。
叔母は叔母なりに、この家を愛していたのね。
長い時間を隔てて、叔母からのメッセージを受け取ったような気がする。
同じ庭に、私と妹はクリスマスローズを植えている。
花の数を数えていると、猫たちが寄ってくる。
今、日本を覆っている悲しみを、笑顔に代えることができるまで
どのくらいの時間がいるんだろう
私達の小さな力が、どこまで役にたつんだろう
何か形になって見極められるところまで、たどり着けないかもしれない
でも
せめて次の世代にバトンを渡したい
渡せるバトンを作らなきゃ
もしかしたら誰にバトンを渡したのか、
分からないまま消えていくかもしれないけど
でも、きっとどこかの誰かが受け取ってくれる
私達には永遠にも思える長い時間でも
宇宙の営みからすれば、ほんの一瞬のまたたきだって
夕べお月様が教えてくれたよ