職場の近くで見かける不思議な人


一体いつからその人を見かけるようになったのか・・・

神出鬼没に現れては、いつも町の中で掃除をしている人がいる。

街路樹の根元、コンビニの店先、ビルとビルの間の狭い隙間・・・

ゴミの収集日には、マンションの前に山と積まれたゴミ袋を根気よく整理して、はみ出したり、崩れている袋をきちんと並べなおす。

その人の行くところには必ず近くに鳩や猫が付いてくる。

生ゴミの中のパンくずを几帳面に細かく千切って、鳩にあげているところを見たことがある。

車道に投げ捨てられた吸殻や、雨の染み込んだ落ち葉を一心不乱に掃除して歩く。

誰かが話しかけても返事をしない。

誰とも話しをしないのだ。

だから、どこの誰なのか何もわからない。

性別が男性で、かなり高齢だと思うけど、60代か70代?80代???

かなり痩せているけれど筋肉質なのかもしれない。

髪の毛はほとんどなくて、いつも白いタオルで鉢巻をしていて

夏は肌シャツに作業ズボン、冬はウインドブレーカーを羽織っているが、あちこち黒光りするほど汚れていて、

腰には山仕事をする人が付けるような道具を入れたベルトを下げ、

彫りの深い顔立ちで、猛禽類を思わせる強い眼光を放っている。

赤銅色に日焼けして、なめし皮のような皮膚。

こうした風貌から、この人が一番似合うのはチベットのお坊さんの法衣ではないかと思われる。

高山の洞窟にいる修行僧だと紹介されたら、すぐに信じる。

これだけでも充分不思議な人だけど、もっと驚くことがある。


 その人は掃除をしながら、その時々に思いついた音楽を奏でる。

メロディは口笛音譜

篠笛のように清冽で、力強く、しなやかでいて哀切なメロディー

今まで聴いたことのない遠い国の民族音楽のよう

それがどこの国なのか、未だに分からない

おそらく、彼の魂からほとばしる即興の音だ


さらに即興で、手持ちの道具や素手で、街なかにある物を叩いてリズムを刻む。

ゴミバサミや落ちていた街路樹の枝、棒切れなどで道路の端にある消火栓を絶妙なリズムで叩く。


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この消火栓が楽器に・・・


歩道橋の手すりを、歩きながら目にも留まらぬ早業で叩いているときもある。

ある朝、いつものように地下鉄を降りてホームを歩いていると、階段のあたりから不思議な音楽が聞こえてくる。

改札を抜けると、あの人が壁際に置いてある非常用工具の木箱を一心不乱に叩きながら口笛を吹いているのだった。いつもの気ぜわしい朝が異次元の空間に変わっていた。

昼休みにオフィスを出たとたん、異様な反響音に足を止めたこともある。

あの人が、歩道橋の階段の裏に回り、渾身の力を込めて叩きながらメロディを奏でていたのだ。


グワオォォォォォ~    グワオォォォォォォォォォ~~~


昼下がりの街中いっぱいに、不思議な音が溢れだす。広い車道に掛かる歩道橋が巨大な打楽器になっている。あふれ出た音が高層ビルの壁に反射して、今まで聞いたことのない音の波を巻き起こしていた。

私は歩道の端で立ちすくんだまま、体中でその音を受け止めようとした。

いつのまにか、街全体が音の波に巻き込まれ、大きな楽器になっていた。




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歩道橋の階段を裏から叩くと・・・


そのライヴは、突然始まって、突然終わる。

短いときには1分、長いときでも数分くらい。

誰かが近寄ったりすると、野生動物のようにヒラリと身をかわしてどこかに行ってしまう。


雨の日が続き、重苦しい空にうんざりしていたある日。

ランチに出かけたら、ようやく雲の切れ間から太陽が顔を出した。

同僚と二人で、いつもの歩道橋を渡ろうと階段を上ったら、彼がいた。

彼は、今まで見たことのない満面の笑顔で、通路の真ん中で手すりから身を乗り出すと、いきなり大声で

「おーい」

と叫びながら空に向かって手を振った。

視線の先には、何日ぶりかで姿を見せたお日様がいた。

その場に居合わせた同僚と私は、腰を抜かさんばかりに驚いた。

その人は口が利けないのだと、勝手に思い込んでいたもので。


改めて思い返してみると、その人が突然始めるライヴに楽器として使われる物は、全て公共物かそれに準じる物で、個人の所有物には一切触れていない。

お店の看板や、ディスプレイ、自販機だって面白い音が出るかもしれないけれど、そういう物には手を出さない。その人なりのけじめがあるのだろう。


少し前から同僚と私は、その人のことを「掃除の神様」と呼んでいる。

「掃除の神様」は世間ではホームレスと呼ばれているかもしれない。

でも、余分な物を何ひとつ持たないで生きていられるだけでも凄いのに、自分が表現したいことを、したい時に体中でやってのけてしまうのは、やっぱり神様の領分だと思うのだ。