先ほどニュースで自殺をした生徒の両親が
いじめを助長したと思われる前担任へ
怒りをぶつけていた
子供にとって学校は一日の大半を過ごす場所だ
だからこそ安心して生活出来るようにしなければならない
先生は子供にとって模範となる人間でなければならない
よく聖職というが、聖職者は決して自分より弱いものを
傷つけたりしない
私も中学校のとき、担任教師から言われもない暴力や中傷を受けた
しかしこの時の私の心理は
「かなしい」よりも「こいつはアホや ほうっとこう」という
気持ちのほうが強かった
だから誰にも相談しなかった
ちょっと可愛気がなかったのである
よって不良になることもなく成長したのだが
このときから「先生と呼ばれる仕事の人間だけは信用したくない」と
思うようになった
大学を出てすぐ、わずか23歳で先生と呼ばれ
学校以外の世界を知らず、先生の意見ひとつで生徒の進路が決まる
人に頭を下げることもなく
先生たちはどんどん勘違いしていく
「自分は先生だ!」と・・・
自殺をした生徒に関しては、
人は時として、生きる気が抜ける瞬間があるのだと思う
私と彼の違いは
私は担任にいじめられたことよりも、もっと楽しいことが
あったから
音楽や本、映画、お菓子などいやなことを忘れることが出来る場所が
あったから「生きる気」が抜けることはなかった
しかし彼は「生きる気」が抜けてしまった
私は自殺自体は悪いことだとは思わない
「命は大切にしなさい」と正論を振りかざす人も大嫌いだ
そして自殺するときは、納得して死んで欲しい
決して悲しみのままで 人は死んではいけないのだ
残された者はその悲しみが倍増する
私は子供が好きではない
でも傷つけたり、悲しませるようなことはしない
「子供が好きで」先生になった人であればなお更
未来を託す子供たちを傷つけないで欲しい
きっといじめはこれからも発生するだろう
ジャイアンだってのび太をいじめている
しかしジャイアンはのび太の尊厳を踏みにじることはしない
ガキ大将だから、ルールを守っている
最近のいじめにはルールがないのだ
自殺した彼には会ったこともないけど
両親の声を聞いていると 涙が出てきた
私と同じ気持ちの人もきっと多いことだろう