最近、「片付け」にはまっている。

2つあった本棚が1つになった。

洋服も、大量に古着屋さんに連れて行った。
 

その際にとても参考になったのが、この本。




『服を買うなら、捨てなさい』



本の中で、特に役に立った考え方は次のようなもの。

一週間、むりして毎日違うコーデにして、

23日、微妙な恰好になるよりも
 週に23回、お気に入りの同じ着こなしをして、
 毎日素敵な自分でいた方がずっといい。



・雑誌に載っている「ベーシックアイテム」が、


あなたにとっての定番になるとは限らない



・あなたの得意分野の服を着ればいい。それはスタイルがあるということ

 スカート派の人が無理して慣れないパンツを履いてダサくなるより、好きで得意なスカートを極めればいい


いかに自分が、せっせとタンスの肥やしを増やしていたかがわかった。

ユニクロなんかに行くと、

つい、安くて、なんとなく着られそうで、

コーディネートの幅を広げてくれるかもしれない…的な服を
1000
円札一枚だして「やったーお得」と買ってしまったりする。

で、しばらくタンスの中にいれておくと、

そいつがじーっと見つめてくるので、

せっかく買ったのだし、と一応袖を通すのだけれど

なんか、形も色もしっくりこない。ちょっとダサい。


いや、でもめっちゃ「シンプルでベーシック」だし。そんなに外してないはずだし。

外に出ると、

いや、やっぱこれ、

なんか、ちゃう。

私、今、弱い。

戦闘力めっちゃ弱い。スカウターで測ったら5ぐらい。

というように、

微妙だな、と思っている服を着ていると

気持ちまで、しゅわゅわ、へたへたしてきたりする。

服は、着る人に気力を与えたり奪ったりする。


服って、なんだ。





最近読んでいた本の中で気になるお話があった。


『健全な肉体に狂気は宿る』という


元大学教授で武道家の内田樹さんと精神科医の春日武彦さんの対談本。



「外見で人を判断しよう」という項目の中の、内田さんの発言を以下に引用。




「たぶん洋服というのは、その人の一番弱い部分とか感受性のやわなところが外部に露出しているところなんでしょうね。粘膜みたいに。きっと。だから、(服装を否定されると)すごく傷つきやすいんだ。


 よく「服装は名刺代わり」と言いますが、名刺どころじゃない、ある意味「恥部」なんでしょうね。だから、「人を見た目で判断するな」というのはまったく無意味な言葉であって、見た目こそが最良の判断材料になるんです。」



また、精神科医の春日さんは、患者の服装についてこんなことを言っている。


「(妙な服を着てくる患者について)説明するのは難しいんだけど、でも、病室に入ってきたとたん、もう直感的にわかるというか、見当がつくような感じなんですね。「あっ、これはやばい」とかね。


 理屈で考えれば何もおかしいことはないはずなんだけど、例えば「全身コーディネートしました」って言っても、そこまで全部同じ色に統一しちゃったらおかしいだろう、とか、結果的には、何かが過剰だったり欠落していたりする、その落差が不自然なんでしょうね。」





この対談本を読んでから、


 洋服というのは、その人なりの、世界との交信の仕方なんではないかと思った。


 その人なりの内面の期待や恥じらいや自信や諦めのごっちゃになったなにかが、


その人の身体の外に、洋服として結晶化するんじゃないか。




 だから、人の服装に違和感を抱くとき、


 それは、その人の世界との関わり方(狭い範囲では、自分との関わり方)に関して、


 何らかの違和感を、洋服も込みで抱いている状況なのかなー、と。





『服を買うなら捨てなさい』の中で、著者の地曳いく子さんは


ワードローブは、ワンパターンで偏りがあっていい。


それがあなたの「スタイル」であり、得意分野である、と述べている。



服を捨てて捨てて、最後に残る服たちが、


自分の中からずぶずぶっと出てくるなにものかと


自分の職場やプライベートでの環境との折り合いが取れた精鋭たちであって、


着ていると、なんとなく上手く生きられる服なんだと思う。


心強い相棒を求めて、今日も服を仕分けする。