珈琲を淹れることを覚えた。
豆をゴリゴリするやつはもっていないので、
買った粉をドリッパーに入れて
お湯をゆっくり、ちょっとずつ注ぐ。

準備から出来上がりまで3~5分。
少し手間がかかる。


鈍い自分でも、
淹れ方によって、毎回少しずつ味が違うのがわかる。
小さく、哲学。



少し、時間と気持ちに余裕がないとできない。

時間をかけて淹れる

時間をかけて飲む。



珈琲を愛することは、
時間を愛することに似ている。



今まで、特別好きなわけではなかったけど、
珈琲を淹れる行程を踏むようになってから、
なんとなく特別なものになった。




珈琲の浪漫や蘊蓄を語る人を見て、
これまで、なんで飲み物のためにそこまで、、、?と思ってたけど、
まだ入り口だけど、
なんとなくわかるようになってきた。




でも、珈琲だけでもないんだろうな。

茶道なんてものもあるし。

時間と気持ちをかけることは、
そのものを、特別なものにする。





母は珈琲が大好きだ。
お腹が弱くて、しょっちゅう壊しているけど、やめられないみたい。



四人の子どもを育てた母にとって、
珈琲の時間は、ほんのわずかに残された、
自分のための時間だったのだと思う。




母が気に入っていた
高級なカップ(といっても数千円だと思う)
を誰かが割ったとき、
めちゃくちゃに怒っていた。


ものに執着する人ではないので、
なんだか不思議だった。



今思うと、
ほんの小さな、わずかな、
母に残された
カップ一杯の世界を壊されたことが
耐え難かったのだと思う。





母に教えてもらった淹れ方で、
1人で珈琲を淹れて本を読む。

1人で飲む珈琲は、世界を、静かに、
鋭敏にする。




時間の愛し方を、ひとつ身につけられたような気がする。

生活のひとつひとつが、
そんなふうになるといいな。