私の子供時代は
明るい元気な子
と言う評価が
いつもついていました。
母親のがん闘病で悲しむ
自分を抜けば…
入退院を繰り返す母親。
入院する度に帰りを待ちわび
期待と落胆を繰り返していました。
父に母の帰りを聞くも
その通りに母が帰る事は少なく
次第に父を
嘘つき
に仕立て上げていきます。
母が冷たくなって
帰ってきた時でさえ
誰も教えてくれない
本当のことを教えてくれない
皆嘘ばかり
白い布に覆われたそれは
お母さんじゃない
触れたくない
見たくない
今すぐ
皆いなくなって欲しい
この死体もいらない
受け入れなんて
できない
だって聞いてない
お母さんが死んだって
聞いてない
告別式で無理矢理
棺の蓋に釘を打たされ
泣いて泣いて泣き喚いて
抵抗しても
母は焼かれ
骨だけになってしまいました。
もう何も考えられない
何も受け入れなれない
現実を直視できない
何が起きたか知りたくない
全ては悪夢
でも母はいない
お母さんが死んだのは
お父さんのせいだ
この感情を持つことで
母の死を受け入れました。
嘘ばかりつく
こんな奴といたから
お母さんは死んだんだ
母の最期には
父は付き合う女性がいました。
くそ野郎
お母さんが苦しい時に
私達がこんなに悲しい時に
あんたは自分だけ
楽になろうとしたんだ
あんたが
あんたが
死ねば良かったんだ
それから私は
父を憎む悲しい人生を
送ることになりました。
カウンセラーと共に見つめ返した
この頃の自分は
寂しい
もの凄く寂しい
嘘は嫌だ
もっとお母さんと
一緒にいたかった
甘えたかった
たくさん話をしたかった
死んでない
お母さんはまだ
生きてる
信じたくない
と訴えていました。
私はその自分を抱きしめ
寂しかったね
辛かったね
悲しかったね
わかるよ
わかってるよ
大丈夫
わかってる
と
幼い自分を抱きしめました。
カウンセリングで
最初に自分を受け入れた
瞬間であり
私の中でようやく母が
成仏した瞬間です。
母の
鼻歌が大好きでした。
母の
キスを今でも覚えています。
母は
私達を本当に愛して
くれました。
母の姿形は無くなりましたが
母は私の中で生きています。
お母さん
愛してるよ
お墓の前でようやく
言葉にして
照れ臭く
ひとりで笑えました。
でも
私のカウンセリングは
これで終わりを迎えません。
何故なら
私の生き辛さは
母の死だけに
止まらないことに
気がついてしまった
からです
