こんにちは!
私は、物を手放すことに対して、あまり抵抗がないほうでした。
むしろ手放したほうがスッキリなんて思っていたのですが、ある時から、判断力や決断力が昔と比べるとなくなってきたような気がしたのです。
自分の内側をよくよくのぞいてみると…
今まではあまり感じたことがなかった、「これを手放したらもう二度と手に入らないかもしれない」と、うっすらと不安の気持ちがあるのに気づきました。
また、「自分の一部がなくなってしまいそう。(これがなかったら、もう思い出せないかもしれない)」という、悲しみのようなもの。
様々な経験を重ねたせいでしょうか?
若い頃のように勢いだけでは決めきれなくなってしまい、スピードがおちたように感じたのです。
そして…捨てることをもっと大事にしたい、と思いました。
捨てることで味わう痛みのようなもの。
それは、同時に大切にお別れをする時間。
ゆっくりと今までを振り返る時間のような気がしたのです。
今、いらなくなったとはいえ、私の人生のある一時期を一緒に過ごしたものなんですよね。
今までは、捨てることが一番いい、と思っていたけれども、人の心って、そんなに単純じゃないのかもしれません。
捨ててさっぱり綺麗になる、というのはもちろん心地よさにつながるでしょう。
その気持ちよさは、納得しています。
そして、フットワークが軽くなり、「今、ここ」で生きれる充実感も。
だからといって、捨てられない自分を責める必要もないのだ、と気づきました。
それはそれで、確かに感じている自分の一部分なのですから。
捨てることには、痛みを伴います。
その痛みをもっともっと大事にしたい。
いますぐにはできないかもしれないけど、痛みを味わう間もなくぱっと切り捨てるやり方ではなくて、痛みは痛みとして認める。
痛みを許す、というか。
そうやって、初めてお別れができるような気がしたのです。
捨てれない自分を出会ったとき。
迷っている自分と出会ったとき。
そういうときに、無理に決めさせるのでもなく、無視するのでもなく、やさしく見守りたい。
そして、その部分が「今の自分にフィットするものを選びたい」と思えるまで、待ってあげたいと思いました。
焦らなくても、大丈夫、と伝えながら。
片付けできないから、といって、すべてが台無しになるわけではないですよね。
効率的なのは便利ですが、片付けは時に心と結びついていることもあります。l
片付けの心地よさも知りながらも、時には迷い、止まってしまう自分にも許可をだしてあげたいな、とそう思いました。