今回は、長くて暗くて重い話なので、苦手な方はスルーしてくださいね。


アルコール依存症(以後アル症)の父が胃潰瘍で入院し、その後依存症の治療の為に専門病院へ転院してからもうすぐ二ヶ月になる。
二ヶ月経った今でも一向に回復の兆しが見えず、かえって心配な事が増えたような状況だ。
入院中いろんな人に多大な迷惑をかけ、私も母も謝りっぱなし。
もう年が年だから、本人も「回復したい!」って思いよりも「酒飲んで楽になりたい・・。」って思いの方が強いのかもしれない。

今回私もパソコンで依存症についていろいろと調べてみた。
一度アル症になると、本人が酒をやめたくてもやめられなくなってしまう。
「意思が弱いから飲むんだ!」と言われることが多いが、やめた途端にものすごい禁断症状が現れる。
幻覚や幻聴、体の不快感など、体験した本人しか分からないくらい、ものすごい辛くて怖い体験らしい。
アル症の治療法は「断酒」しかない。
でも仮に断酒することに成功したとしても、その先の人生をものすごい飲酒欲求と戦っていかなきゃいけないし、もし一滴でも飲んでしまったらまたもとに戻ってしまうことが多いそうだ。

そしてアル症は飲酒する本人だけではなく、周りにいる人間(特に家族)も巻き込んでいく。
「どうすれば飲酒をとめられるか?」「自分がそばに居なかったらこの人(飲酒者)はどうなるのか?」と常に生活の中心に飲酒問題があり、いつの間にか自分の生活が飲酒問題を中心にして回っていくようになってしまう、共依存の問題。
この共依存はものすごく複雑でここでは書ききれないからやめておくけど、今回調べてみて母親や兄、そして私も知らず知らずの間にこの共依存に陥っていたことが分かった。

さらに私と兄はACOA(アダルト・チルドレン・オブ・アルコーホリック)であることも分かった。
依存症患者がいる機能不全の家庭で育った子供がなるらしい。
読んでみると「確かにそのとおり」って感じだった。

こうやってちょっと問題を挙げていくと、問題が複雑過ぎてどうしていいのか分からなくなる。
本人も辛いのはよく分かるけど、「お父さんさえ酒を飲まなきゃいいのに・・・。」と父親を裁く思いになったり、「ずっと長いこと祈ってるんですから、この辺でなんとかしてください、神さま!」と天のお父さんに不平を言ったりもした。

そんな中で、依存症問題を抱えた人のホームページの中に「小さなお祈り」という言葉を見つけた。

   ~小さなお祈り~
神さま、どうぞ私にお与えください。
自分で変えることが出来ないことを受け入れる落ち着きを。
変えることが出来ることは、変えていく勇気を。
そして、この二つのものを見分ける賢さを。

問題が複雑過ぎてどうしていいかわからない時って、大抵「自分でなんとかしなきゃ!」って思う時だ。
でも自分ではどうにもならないこともたくさんあって、それはまず受け入れていかなければならない。
そうすれば時が来た時に変えていけるかもしれないし。
変えることができないことにばかり目を留めて、変えていけることに気が付かなかったり、そのままにしておいてもダメだよね。
自分に委ねられていることと、神さまに委ねていかなければならないことを見分けていくことってすごく大切なことなんだと気が付いた。
当たり前のことなんだけど、問題の只中にあると気が付かなくなるんだよね。
でも、この二つのものを見分けていこうと意識していくと、自分のするべきことが具体的に分かって必要以上に心を煩わせることがなくなってきた。
神さま感謝します!

こうやって問題ばかり挙げていくと暗くなるけど、いいことも一つあった。
というか、神さまは最大の望みを聞いてくださったのよ。
それは牧師先生がお見舞いに行ってくださった時に、「自分がもし死ぬようなことがあったら墓はどうしよう?」と相談したら、先生が「お墓の心配よりも天国にいけるかどうかの方が大事ですよ。」と言ってくださり、イエスさまを受け入れるお祈りに導いてくださったことだ。
私はその場には居なかったけれど、ちゃんとお祈りしたんだって。
これまでも素面では絶対に神さまを認めようとはしなかったけど、どういう訳かアルコールが入ると母が体調が悪かったりすると心配してお祈りをしたりしていたのよね。
どうせならアルコールではなく、聖霊に酔ってほしいわ。
でもその次の日に病院を脱走してみんなで探し回るハメになり、せっかくのありがたい気持ちもどこかに吹き飛んじゃったのよ・・・。まったく。
まだまだこんな状態が続くかもしれないけど、父の内側に入ってくださった聖霊さまをあがめて、父のためにこれからも祈っていこうと思う。