「つらい。」「つかれた。」「つまらない。」、最近よく言う言葉だ。
関係ないけど、頭韻を踏んでいる。

寝不足だったり、家にこもる日が続くと、なんとなく気分が沈んでしまって、最近ちょっと鬱っぽかった私。

家の仕事をしようとするとタツが「かまってぇ~!」って泣く。
やりっぱなしになる家事。
タツが生まれる前なら1時間もあれば余裕で出来た事も、今は一日がかりだ。
みんな中途半端。
散らかる部屋、なかなか進まない台所仕事、洗っても洗っても溜まっていく洗濯物を見ると、自分が主婦としての能力がないと思い知らされるような気分になる。

何度同じことを言っても同じ事を繰り返すピトチとヒカ。
「片付けろ!」、「宿題やった?」、「また忘れ物したの?」、毎日同じセリフ。
大きくなって自己主張が出てきた二人と衝突することもしばしば。
つまんないことでもマジ切れ。ほんと疲れる。

さっきーはそんな私に文句一つも言わずに受け入れてくれるけど、忙しいからなかなかゆっくり話をする時間もないし。

愚痴を言っているとキリがない。
「こんな生活もうイヤ!」って思っちゃう。
でもね、本当はよく分かっているんだ。
いろんなストレスがあっても、家族が元気で一日を過ごすことができるって、それだけで本当はとっても幸せだってこと。

こんな言葉を聞いた。
「『幸せだ!』って思うことも、毎日続くとそれが当たり前になってしまう。」って。
なんだかハッと気づかされた。
「もうイヤ!」って思ったのは、今の生活や家族に対してではなくて、感謝すべきことに感謝ができない自分だったんだよね。
神さまからの恵みは当たり前のように受け取っているのに、ちょっと思い通りにいかないとすぐに不平を言ってしまう自分は、本当にイヤ。

この間、うちに遊びに来た教会のお友だちの塩豆ちゃんが「会社から帰宅途中のさっきーさんを何度か見かけたことがあります。本当に普通に歩いてました。」って言うから、「???」って思った。
「普通って?塩豆ちゃんはさっきーが普段もパパイヤじゃんけんでもしながら歩いているのかしら?」と思ったら、そのあとこう言っていた。
「他にも教会の人を町中で見かけることがあるけど、中にはなんだか疲れきった顔をしている人もいて声をかけていいのかどうか迷っちゃうことがあるんですよ。」って。

その言葉を聞いて、またハッとした。
「最近の私、街中をどんな顔して歩いているかな?」
疲れきった顔でベビーカーを押している自分が見えるような気がした。
こんな自分もイヤだわ。

聖書の中に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことについて感謝しなさい。」ってみことばがある。
順調な時にはすごく実践しやすい言葉。
っていうか、物事が順調に進んでいる時にはそれが当たり前過ぎて思い出しもしないかもしれない。
でも逆境と思われる時にこそ実践しなければいけないって思った。

「少女・パレアナ」って物語がある。
主人公のパレアナって女の子が「聖書の中には何百回も「楽しめ」とか「喜べ」って言葉が書いてあるから、神さまは私達が喜ぶことを望んでおられる。」と言って、逆境の時にも小さな喜びを探して感謝をささげ、それが町中の人達に広がった話。
パレアナは「よかった!」を探すことを楽しい遊びにしていたのよね。
とても困難な状況で、「『よかった!』を探すのが難しければ難しいほど、見つけた時には嬉しいし、遊びも面白くなる。」とも言っていた。

グチグチ愚痴ばかり言っていないで、私もやってみよう。「よかった!」探し。
う~~~ん。
とりあえず、今日はねぇ~
1.天気がとっても良くて、洗濯物が片付いて、よかった!
2.空がきれいで、外に行くのが気持ちよかったから、よかった!
3.いつものお店で例の物が4割引で、よかった!
4.レジの人がカゴをカウンターまで運んでくれて、よかった!
5.落し物を拾ってくれた人がいて、よかった!
  (このお二人に祝福が豊かにありますように。)
6.今日も家族が元気に過ごせて、よかった!
なんだか調子に乗ってきたぞ!
数えるとたくさんあって書ききれないかも。

うん!やっぱり「よかった!」はたくさんあるね。
神さま、感謝します。
また愚痴りたくなったら「よかった!」を数えようっと。