明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

お正月も三が日が終わり、そろそろ通常の生活が始まろうとしています。
子どもにとって「お正月」って嬉しいものだよね。お年玉にお節料理、学校は休みだし。
でも大人にとってはいろいろと忙しくて、大変な時期。大掃除にお節作り、年賀状書きもあるし。
大人になってからはあたしもあまりお正月がめでたいとは思わなくなっていた。
特に最近はね。

何でかって言うと、実家に挨拶に行かなきゃいけない・・・。
前にも書いたけどさ、あたしの父親は今アルコール依存症なのよね。
仕事があるうちは自分でもセーブしているみたいだけど、仕事が無いと朝から飲んでいる。
それだけならまあいいんだけど、孫を連れて行くと舞い上がっちゃって、収集が付かなくなることも。
でも行かないとやっぱり寂しいかと思って、今年も四人そろって実家へ挨拶へ行った。

案の定、父はすっかり出来上がっていてご機嫌さんだった。
普段は無口なんだけど、アルコールが入った上に、あたしや孫が来たことですっかりハイテンション。
一人でしゃべりまくっていた。
父は新しく生まれる孫を楽しみにしているようで、何度も「どっちか(男か女か)分かったのか?」とか、「どこの病院で産むんだ?」と聞いていた。
お正月でみんなが集まると、父は決まってあたしが生まれた時の話をする。
生まれたばかりのあたしが血液型不適合で死にかけ、父が必死になって大きな病院へ運んでくれ、輸血をしてくれる人を探して、連れて来てくれた話。
あんまり必死だったから、途中道を間違えて焦ったそうだ。
「あの時オレが運んでやったから、今こうしてお前が生きてるんだ!」と父は誇らしげだった。
「そうだよね。あの時お父さんが頑張ってくれたから、今あたしが生きているし、こうやってその命がまた三人の子どもたちにも受け継がれているんだよね。」と言ったら、父は少し照れていたようだ。

ハイテンションの父の相手は少々疲れたけど、今年も年の初めに挨拶に行けてよかったわ。
子どもたちもお年玉をもらってご機嫌だった。
そのままトイザラスへ連れて行かされたわよ。

その夜、なかなか寝付けなかったので、昼間の実家での話しを思い返した。
始めは父親に対して、「また孫が生まれるんだから、依存症を治す努力をして欲しい。」と思い、祈った。
そして自分の今までの人生をいろいろと思い巡らしをしていく中で、どんな状況の中にあっても、いつも神さまがそばにいてくださったこと、導いて下さっていたことが強く心に迫ってきた。
今のあたしの状況はいろんなことに恵まれていて満たされているけれども、それは自分の力でも運でもなく、一方的な神さまの恵みなんだよね。
よく分かっているつもりでも、いつの間にかそれが当たり前になっていたことを悔い改めた。
逆に今いくら恵まれていたとしても、その恵みの根拠に神さまがいなければ「この幸せはいつまで続くのか?」と毎日ビクビクしながら暮らさなきゃいけないよね。
どんな状況にあっても神さまに信頼したヨブのようになることが、あたしの目標なのよ。

そんなことをグルグル思い巡らしていたら、天のお父さんからみことばをいただいた。
天のお父さんからあたしへのお年玉よ。

「というのは、すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至るからです。どうか、この神に、栄光がとこしえにありますように。アーメン。」ローマ11:36

年を取った上に依存症の父とそれを支える母のことや、5月の出産、ピトチやヒカの将来、さっきーのお仕事のことなど、考え込むとちょっと不安になることがいろいろある。これからもっと増えるわね、きっと。
でも「すべてのことが、神から発し、神によって成り、神に至る」のね。
あたしはいつも神さまに信頼していけばいいんだわ。
今年はこのみことばをしっかりと握っていきたいと思うわ。
天のお父さん、みことばのお年玉をありがとう!