私は三絃もお遊び程度に弾いています。

お遊びですから人前では絶対に弾けません。

技術的なこともさることながら、あんなトンガったバチをピンピンに張り詰めた皮に

当てがうことの怖さ、いつ糸が切れるかわからんという恐怖、調絃を替えるときに

糸巻きがカラカラと緩みそうな不安…


それらが渾然一体となって、考えただけでも汗が出てきそう…。

本番のステージで三絃を弾いている人を見ると、ただただ単純に尊敬してしまうのです。


けれどもだがしかし、あの三絃の音色は大好きです。なんとも艶やかで粋で、

箏の音色とはまた違う落ち着きを感じます。 


で、三絃の音色の一番の魅力は、なんちうても「サワリ」にあると思っています。

「サワリ」こそが三絃の命や!というて憚らないタイプなんすよ。


一の糸(一番太くて一番上に位置している絃)が、上駒にかからずに、棹(さお)に

当たるか当たらないかの微妙な隙間で張られておりますので、糸をバチで弾(はじ)く

たびに、その糸の物理的な振幅が隙間の間隔を超えると棹に当たって「ビ〜ン♪」と鳴る…。

それが、二の糸や三の糸と共鳴関係(正しくは協和関係かな?)になると、一の糸を

弾いていないにも関わらず「サワリ」が鳴る…。

その変幻自在な音色の立体感が、なんとも魅力的なんですよー。


でも、いうてしまえば雑音なんですけどね、その雑音こそが実は和楽器の「命」

なのではないか?


音楽的には、雑音は「躁音(そうおん)」と呼ばれます。これは音程を確定できない

音のことです。たとえばバケツを叩く音とか、水の流れる音などは音楽の立場で

見ると「躁音」になるちうこってす。


逆に音程が確定できる音、つまり楽器の音は「楽音(がくおん)」といいます。


邦楽はこの「躁音」の扱い方が大事で、さまざまなところで活かされています。

お能で使われる能管という横笛では「ヒシギ」と呼ばれる技法で、強く息を吹き込み

激しくエキセントリックな高音を出します。

尺八でも「ムライキ」という手法があり、これもかなり大きな躁音を出し、

音楽の中で劇的な効果が生まれます。


箏はもともと雑音の極めて少ないという、和楽器の中でも比較的珍しい

部類なのですが、そのせい?もあって、糸にわざわざ指を当てて音を濁らせたり、

爪の横で糸を擦って雑な音を出したりするのです。


そのような手法が発生してきた背景には、虫の音や風の音、川のせせらぎなどの

自然音も「風情」として楽しむという、日本に古くからある文化や自然観を基と

するモノがあるのかもしれませんね。


ところで「サワリ」とは、文字通り「糸が棹に触る」のでそのような言葉に

なったとは思うのですが、漢字で考えると「触り」と同じ発音を持つ「障り」

もあります。「目障り」「差し障り」の「障り」ですわな。


穿った考えかもしれませんけど、本来その楽器の持つピュアでクリアな音色に

音楽を奏でる上においてわざわざ「差し障り」のあるモノを付け加えた、

という意味も含んでるんちゃうかな?と思うたりもします。


…でも多分違うやろなー。