コロナニュースの合間に、悲しいニュースが飛び込んでくる。
事件、自殺、安楽死。。。
死を考えることは生を考えることと背中合わせ。
生きたいからこそ、死にたかったんだろうなと思います。
「生きていてほしかった。」というのは、残された人間の欲のように感じます。
数年前に、NHKで安楽死のドキュメンタリーを観ました。
スイスへ行き、本当に安楽死しなければならないほどの病状かチェックされ、家族と最後の食事をし、最後は自分で致死薬の入った点滴を開いた衝撃のドキュメンタリーでした。
想像でしかありませんが、私がその立場だったら、同じように死を選ぶ気がします。
私が生きるという選択をせざるを得ないのは、側にいたい家族などがいる場合、この世でしかできないことがある場合に限られるかなと思います。
どちらも個人的な欲ですので、周りに(経済的にも精神的にも)負担をかけてまで生きるべきか考えることになるでしょう。
美味しいものが食べられない、会話ができない、歩けない、書けない、読めない、聴けない等々、「できないこと」が増える度に、死を考えることになるのかなと思います。
安楽死、日本では認められてないし、貯金しとかなきゃな。。
生きることの価値観はそれぞれですので、あくまで私がそうなったらの考えです。
実際に病気になれば、もっと生への執着が生まれるのかなーとも思いますけどね。
これを他人に押し付けようとすると、優生思想になるのか?
難しいなぁ。
暗くなっちゃったな。。。
いつかの打ち上げの写真でもー。じゃじゃーん。
この日、師匠のお誕生日でした。
こっそりケーキを買いに行って、リハの合間にお店に預かってもらって、結構苦労しましたwww