プロレス(その1)全日本プロレス | 一番茶のブログ

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一番始めにみたのが、全日本プロレス 馬場が社長の時だから 1981年くらいからかな。 馬場 鶴田 天龍 と 外国人 ブッチャー シン ファンクス ミルマスカラス ハンセン ブロディの時代です。 鶴田は、ニックボックウィンクルからAWA王座を奪取 世界のベルトだったから画期的でした。 あのバックドロップは、目に焼き付いてます。 ファンクスは、ヒーローみたいなかんじでした。倒れても あきらめない それが 子供たちの心に刺さりました。 年末の世界最強ダッグは、毎年の楽しみでした。 これが終わり 正月になる これが定番でした。 外人といえば、ザロードウォリアーズ 戦慄でしたぁー 軽々と 選手をリフトアップ 鶴田 天龍も 当時 全日本にいた 長州 谷津も 相手になりませんでした。

長州率いる ニュージャパンとの 団体構想も 楽しみの一つでした。 谷津 VS 天龍 天龍VS 長州は、名勝負 でした。 長州軍が去り どうなるか と 思いきや 天龍が鶴田にケンカを売り 天龍同盟を発足 阿修羅原 冬木 川田 は、かきみだしました。 その天龍もSWSに移籍 大量の選手が離脱した 全日本を救ったのは、二代目タイガーだった 三沢 川田 小橋 菊地の 世代でした。 鶴田 渕 との 戦いは、馬場社長が試合に感動し 涙を流したもの、 安心したのか 馬場さんは、お亡くなりになりました。そして弟子鶴田も あとをおうように 亡くなる。 新世代 の三沢らが これから やるはずが、三沢は 新団体プロレスリングノアを設立、川田 渕のみになりました。 そのあとは、新日本との抗争を得て 武藤敬司が社長になりました。 そんな武藤もW-1 を旗揚げ しかし 古株から残った人は 二人います。渕と太陽ケア
こうなると ジャイト馬場 ジャンボ鶴田が いかに 大きかったか わかります。 諏訪魔 真田聖也 征矢 ノアから来た 潮崎らが ひっぱるだろう 全日本 地上波でみたいんだが (スカパーは、貧乏で入れませんしょぼん) 日テレさんよー 考えてくれませんかね。