後の祭り、とはもう取り返しのつかないこと対して使うことば。でも、今回はそこからが始まり。という出来事のお話し。



それは先日あった母とのキッチンの生ゴミいれのやり取りについて。



流しに置く生ゴミ入れはかねてから改善したいと思っていたモノで、なんとなく私の中でこれかな?と言うものがあったけど、なかなか買いに行くところまでしていなかった。


母が父と買い物へ行ったついでにプラスチック製で取っ手のついたものを買ってきた。


わたしとしてはこの取っ手がじつにクセモノで、なかなかに洗いにくいと思われた。


母に「これはココの汚れが洗いにくいよ!買うならもっとよく考えて買ってきてよ!」と言ってしまった。


しかし母から「いろいろ見に行きたいけど、わたしには足がなくて見に行けないの!だからあったものを買ってきたのよ!」と言われた。


ハッとした。


わたしは長く使い続けるものが必要なとき、吟味に吟味を重ね、時には重ねすぎてわけがわからなくなるけど、「とりあえず」とか「ま、これでいっか。」とモノを買うことがない。だから必要なものでも、自分の求める使いやすさのものでないとなかなか手を出すことができない。

吟味を重ねて自分の求めていたものと出会えたときはとても嬉しくて、それを丁寧に大切に長く使う。それがどんなに面倒なメンテナンスと人から思われても、わたしにとってはかけがいのない愛しい逸品だから、苦にならない。


そんな理由から母に吟味もしないでこんな使いにくいものを買ってきて!と、もの申してしまった。

母から言われたひとことで母の置かれている立場ゆえにくださざるをえなかった決定を知った。そんなことまでまったく思い至らなかった自分の傲慢さを痛感した。


そうか。。。


自分の浅ましさを思った。

自分中心の思い上がりを見た。

母の感じている不便を気づくこともなかった。

母と一緒にいろいろ探しに出かければよかった。

母に申し訳なくなった。


そこで響いてきた言葉。

「人にしてもらいたいことはあなたがたも人にしなさい。」


ああ。まったくそのとおりである。


今あるこの状況でせめてわたしにできることは何か考えた。


「母が買ってきたこの生ゴミ入れを大切に使うこと。」


それ以来毎日寝る前に、一日生ゴミを受けたその生ゴミ入れをキレイに洗うことにしている。


始めて見た時につい口をついて出た「このカタチは洗いにくい!」を苦にならない愛おしい個性として洗うのが楽しくなるように仲良くなろうと思う。


それから、できないことのほうが多いけど、口をついて出そうになる言葉をもう一度飲み込んで、発言する前に今一度自分の心を吟味することも忘れずにいたいと思う。


後の祭りから花咲かせることを目標に。