久しぶりの更新になりました。
この一週間は、どれだけ泣いたかわかりません。
身内に不幸があったとか、そうゆう外的要因ではなく
自分の中にあった、いろんな感情の根っこが見えてしまったから。
何かの出来事があったときに沸いて出てくる
怒りも、悲しみも、わかってほしい、という思いも
私の中の
「無力感」と「無価値観」から生じていた。
それは、私と、私以外の何か(現象や物のこともあれば者のことも)
に対して「差」を感じたときに、それは起こる。
わかりやすい例でいえば
男女差、家柄の格差、お金の有無
わかりにくい例でいえば
どんなに頑張っても報われないこともある、ということだったり
(自分の頑張りが、結果と乖離していること)
「差」があることなんてわかっていた。
けれど、その「差」を感じたことから生じる「劣等感」
この劣等感をどうにかしたくて
資格を取ったり、気に入られようとしたり、
方向の違う(←今だからわかるけどw)自分磨きをしたり
そして、「差」を埋めようと上へ行こうとする努力をしても
また、「差」を感じる。
それを何度繰り返してきただろうか。
「差」はあるものだと受け入れよう
そう思っても、「劣等感」は感じたままだった。
そもそも、その差を感じるの根っこは
「無力感」と「無価値観」だったからだ。
そのことに、気が付いた。
もう、本当にどうしようもない。
どんなにあがいても、どうしようもない。
努力をしても、かなわない。
どんなに頑張っても、わかってもらえない。
私は、無力だ。
私には、価値がない。
そのことを直視したくなくて
受け入れたくなくて
認めたくなくて
上は行く努力を繰り返してきただけだったのだ。
直視したら絶望をみた。
涙が止まらなくて、どれほど泣いたかわからない。
それでも、まだ抗おうとする怒りが出てきた。
本当にめんどくさい。
けれどそれも私だ。
数日間の絶望の後、
ちょっとは絶望から抜けられ現在に至る。
一昨日、シャワーを浴びながら、一つの希望を見出したのだ。
見出した、というより、思い出した。
実家の父が、社会人数年目の私に言ったこと。
「キミは、今の会社にいてもいいと思うけれど
お父さんは、キミにはもっと能力があると思うんだけどね」
言われた時は、ピンとこなかった。
どんな能力が私にあるというのだ、と。
そもそもわかってたら、今の会社にいないよ、とやさぐれた。
今も、どんな能力があるかわからない。
けれど、私のことを、能力があると言い切ってくれた人がいること。
その事実だけが、無力のどん底にいた私を救い出してくれた。
その事実と、叶うかわからない夢がくっついた。
まだ頑張れるかもしれない。
無力で無価値な私だから見つけられる世界があるかもしれない。
かも。
かも。
そのわずかな「かも」にしがみつくことにした。
みっともないね。
けど、みっともないのが私なのだよ。
頑張ると言っても、外側を埋めるような
今までやってきた頑張りはもうしない。
これからは
無力で無価値な私のままで
しっかり私とつながって
飾らず、無理せず
目の前のことを粛々とやるだけだ。
人生、短いようで長い。
長いようで、短い。
どっちかわからないけど、
これからの頑張りの結果は、長いスパンでみてみよう。
目の前に一喜一憂するのはエネルギーがいくらあっても足りない
(そもそも、私はエネルギーが少ないらしいw
チーム皆が徹夜で業務遂行してても私は寝なければダメなタイプw)
学習能力が低いから、同じ失敗をまたするだろう。
それでも、今回見た絶望と
思い出したほんのわずかな希望を忘れずに
進んでいこうと思う。