三輪先生の人生を振り返る「シリーズ 三輪記子物語」、2回目は大学時代のお話です。

 「男子に負けたくない」と猛勉強の末、晴れて東京大学に合格した三輪先生。

 外交官を目指し突き進むはずが、ある体験がきっかけとなり夢に挫折。その後の学生生活が一変することに……。 

 

 * 

 

  1995年の春、東京大学教養学部文科Ⅰ類に入学しました。

  東大には、官僚志望者が集まることで有名な「行政機構研究会」(通称行機)というサークルがあります。

  大学に入った時点では外交官になるのが夢だったので、まず行機に顔を出してみた。でも中の人達と話したら、「自分は出来の悪い方だ」と痛感してしまって。その時点で外交官の夢は「やーめた」となりました。

  今にしてみれば、自分で自分の可能性を狭めてしまったようで、反省点なんですけどね。

  ともかく、「本当になりたかったのか?」というぐらい、あっさりとした諦め方でした。

 

  夢に挫折し、その後は飲んだくれの生活に突入しました。授業にはほとんど出ませんでしたね。

  毎晩深夜まで飲み歩き、次の日目覚めると15~16時。「講義は無理だ」と、その時点で諦めてしまう。

  東大は1~2年が駒場キャンパス、3~4年生は本郷キャンパスと分かれるんですが、

  後半になると「本郷は遠い」とか、いちいち言い訳をつけてサボっていました。

  毎年4月になると「今年こそは学校に行くぞ」と、めちゃめちゃ気合を入れて時間割を作るんですけど、結局は行かない。例年、その繰り返しでした。

  かろうじて顔を出したのは、教養課程の授業の中国文学の刈間文俊先生と、蓮實重彦先生の授業ぐらいかな。あとの講義は、ノート収集でやり過ごしていました。

 

  サークルはやっていて、陸上部と映画研究会に入っていました。

  陸上部ははじめ幽霊部員だったんですが、先輩と付き合うようになり、その間だけ真面目に活動してました(笑)。

  とはいっても、練習は週に3回。その他の時間は家庭教師とかカフェとかバイトをやって、夜中は飲み歩くという生活スタイルは変わりませんでした。

  将来の展望も相変わらずないままで、結局、合計7年大学に通う羽目になりました。最後の頃は同級生も卒業してしまい、大学に行っても本郷キャンパスで迷子になっていました。

 

  弁護士を志したのは、池ノ上(井の頭線で下北沢の隣の駅です)にある「魔人屋」という飲み屋で知り合った、

  映画監督の林海象さんの言葉がきっかけです。

  私があまりにふらふらしているのを見て、

  「ふさこは弁護士が合ってる。東大に受かる頭があるんだし、飲んだくれの話とかいっぱい聞けるだろ」

  「俺は映画監督だから、キャスティングと一緒だ。記子は弁護士なんだよ。だから、やれ」と一喝されたんです。

 

  その時、海象さんが知り合いの弁護士さんを紹介してくださったんですが、その先生もすごく素敵な方だった。それで、弁護士を目指そうと決めました。海象さんのあの言葉がなかったら、今頃アル中で死んでいたんじゃないのかなと思います(笑)。

 

  ただ、自堕落な生活が長年続いていたので、受験勉強モードに切替えるまでは本当に大変でした。(続く)

 

【取材・構成=松岡瑛理

 

*****
弁護士の三輪記子(ミワフサコ)です。
2010年12月の弁護士登録以降2017年秋までは京都で執務していましたが、

2017年秋に同期の塩見直子弁護士と『東京ファミリア法律事務所』を開設しました。
東京ファミリア法律事務所は女性弁護士2名の法律事務所です。
表参道駅A2出口から徒歩7分くらいの閑静な住宅街にあります。
離婚、不倫、遺産分割、契約書チェック等々
お困りのことがございましたらお問い合わせください。
秘密は厳守いたします。
ご予約いただきましたら早朝、深夜、土日祝日の法律相談も承ります。
お問い合わせはHPかお電話(平日9~18時)からお願いします。
なお、法律相談は30分ごとに5500円です。
案件ごとの料金につきましてはご相談時にご説明いたします。
メール:fmiwa@tokyo-familiar.com
電話 :03-5413-8310