「シリーズ 三輪記子物語」、第3回目は、司法試験受験生時代のお話(前半)です。 

 映画監督・林海象さんの言葉をきっかけに、「弁護士になる」という新たな夢を持った三輪先生。しかしながら、酒浸りだった毎日を改め、受験勉強モードに切替えるのは、そう簡単なことではありませんでした。ギアが入るまでの道のりやいかに――。

 

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  林監督に「弁護士になれ」と言われたのが、1999年の4月。その時点ではまだ大学生でした。

 「弁護士になる!」と一念発起したはいいものの、受験勉強モードに切替わるまで本当に大変でした。

 まず、机に座って本を広げても、文字が読めない。頭に入ってこないんです。受験生以前に、人として大丈夫か?というレベル。昔読んで感動した本を出して、もう一度読み直す。そんなところから始めました。

 

  司法試験の予備校にも通い始めましたが、数か月で行かなくなってしまいました。

  入ってすぐ答練(答案練習会)があったんですけど、結果が意外に良くて「自分はできるんだ」と勘違いをしてしまったんです。

  親に数十万円のお金を振り込んでもらったにもかかわらず、お金を泡にしただけに終わってしまった。我ながら、本当に甘いというか、短絡的。ある意味すごいなと思います(笑)。

 

  最初に司法試験を受けたのは、2000年。それも「とりあえず受けておこう」というノリでした。結局、決意をして3年くらいはまだ受験勉強を始めたとは言えない感じでした。

 

 ようやく大学を卒業できたのが、2002年3月。同じ年の夏、京都に帰りました。

 当時、母は祖母の面倒を見るために実家を離れていて、家にいたのは父と弟だけでした。最初は「自分が家事をやらなきゃ」と意気込んで、毎日ご飯を作っていたんですけど、だんだん「何で毎日人の洗濯やらないといけないんだろう」と情けなくなってきて、父親とケンカばかりするようになってしまって。家を出て、一人暮らしを始めました。

 

 受験勉強に本腰が入るようになったのはその翌年、2003年以降です。

 京都府内の予備校に毎日通い、朝9時から勉強をスタート。18~19時まで自習、家に帰ってご飯を食べて寝るというサイクルを繰り返しました。「今は友達と会ってる場合じゃない」と、人にも全然会おうとしませんでした。よっぽど仲が良かった友達以外は、結婚式にも出なかったです。

 

 それでも、旧司法試験にはなかなか受からなくて。そうこうしている間に国の制度が変わり、法科大学院(ロースクール)を修了していないと、司法試験を受けられないということになりました。2007年の4月、立命館の法科大学院に入学し、学生として再スタートを切りました。(続く)

 

 【取材・構成=松岡瑛理

 

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弁護士の三輪記子(ミワフサコ)です。
2010年12月の弁護士登録以降2017年秋までは京都で執務していましたが、

2017年秋に同期の塩見直子弁護士と『東京ファミリア法律事務所』を開設しました。
東京ファミリア法律事務所は女性弁護士2名の法律事務所です。
表参道駅A2出口から徒歩7分くらいの閑静な住宅街にあります。
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