おはようございます。

今まではずーっと見えるものにフォーカスしていた私。

成績とか、点数とか、出来たとか、評価とか…。

なぜかと言うと、そのことと自分の価値がイコールだと思っていたかにやり

だから、

成績が下がると凹むゲロー

平均点いかないと凹むゲロー

出来ないことがあると凹むゲロー

あいつダメだわーとか言われると凹むゲロー
(どういうしつけしてるの?って言われたことはかなりのダメージだったゲローゲローゲローゲローゲロー)

少しずつ心のことを整えて、今は

見えないものにフォーカスするようになった。

そして、目に見える結果や出来事より、

「安心か安心じゃないか?」

「楽なのか苦しいのか?」

をいつも考えるようになったねー

今日の長男にやり

机の周りをオルガンや棚で取り囲み、

やっと机に向かえるようになりましたニコ

取り囲みが安心感に繋がったのかなにやり

そこで気づいたのです。

出来たから安心じゃなくて

安心だから出来たということに!

出来たから安心というのは目に見えた結果に対して安心してるねー

安心だから出来たというのは目に見えないものが変化(不安→安心)して結果、出来たということねー

意味わかりにくくてスミマセンアセアセ

上手く伝わってますか??

そんな長男を見て、

「安心なこと、楽なこと」

だけ。

あとは何も要らないと思ったのですゲラゲラ

成績が良くて安心なのは誰?

点数が良くて安心なのは誰?

◯◯くんって凄いねって言われて安心なのは誰?

ぜーんぶ私ねー本人が嬉しいかどうかより…。

じゃあ

成績が悪くて不安なのは誰?

点数が低くて不安なのは誰?

◯◯くんっていじわるよねって言われて苦しい気持ちになるのは誰?

それもぜーんぶ私ねー本人が落ち込むより…。

なぜなら見えるものにフォーカスしているからうーん(あ、あと子供の問題を自分の問題にしてる)

それにフォーカスし続けると、

教えても上がらない子供の成績や点数。

しつけても変わらない子供の行動。

に余計苦しくなるゲローゲロー

そんな状況で

「楽になりたーい」

「安心したーい」と思いたい。思うには?

「見えるもので自分の価値、子供の価値は決まらない。」

「見えないものの変化が結果を生む。」

ということをちょっと頭に浮かべてみると少し、ほんの少しですが、楽ですウシシ