鳥栖神明社古墳から歩いて2~3分

松巨島(マツコジマ)内です。

 

 

 鳥栖八剣社(トリスハッケンシャ)

 

 

雰囲気、佇まい鳥栖神明社とよく似ています。

 

説明板によりますと

 

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全長63mほどの前方後円墳とも、直径50m前後の円墳とも言われ

実態は発掘調査が行われず、築造時期・墳形とも不明な点が多い。

 

墳頂にまつられた鳥栖八剣社は和銅元年(708)の創建と伝えられ

天照皇大御神・須佐之男命・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命の三神をまつる。

 

 

氏子さんの説明板には

 

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天武・持統・文武に仕えた貴族の多治比真人が

神剣を造るために和銅元年(708)創建。

 

和銅元年に新羅の僧・道行が熱田神宮の草薙剣を盗み去ったことが

元明女帝に知られるのを恐れ、神剣を新しく作ることを命じ

 

鍛冶屋がこの地で製作し熱田神宮別宮の八剣宮へ奉納したという伝説が

この社の起源説話です。

 

ただし、この盗難事件は紀には天智7年(668)のこととしています。

との説明で

 

正史に喧嘩売って(売ってません)元気ええのぅー

おぅがんばれー応援するぞーとこっそりつぶやきながら

 

この近くで草薙剣のレプリカを作っていたのかとか

元明天皇の時代とするなら話のなりゆきはどうなるのかとか

多治比真人がなんの関りだろうかとか

 

あれこれ意外な展開に狼狽しながら

そうなんですねーとスルーして行ってみましょう。

 

 

一の鳥居からの階段の上に二の鳥居が見え

 

 

手水舎があり

 

 

わぉ、ぼっこぼこな手水鉢

大小の浅い深い盃状穴(ハイジョウケツ)がたくさんあり

 

 

手水鉢の裏面には文政八年(1825)と刻まれているそうで

盃状穴は願い事を叶う為にこっこっと打ったとのことです。

 

つまり?いつでもだれでも無制限で盃状穴OKってこと?

たくさんの盃状穴、謎ですよねー

 

 

 

墳頂は平らになっていて

鳥栖神明社とそっくりな趣きの拝殿があり

 

 

奥に本殿

お社が三つ並んでいました。

 

鳥栖の地名は永正のころ鳥住だったからといわれ

神明社と八剣社がそれぞれ古墳の上に建ち

 

神社があったから古墳が残されたかもしれなくて

なにもない古墳は壊されなくなってしまったのではないか疑惑ふつふつ。

 

もしかして、このあたりは古墳地帯だったかも?

宅地開発されても古墳が残っていることが奇跡なくらい。

 

 

住宅地のなかを行くと

道路の先に木々の茂みが見え、そこが古墳よ。