気になりすぎて

さがしに行きました(暇かー)

 

呼続(ヨビツギ)公園内の曽池(ソイケ)近くにひっそりたたずむ

 

 

『源頼朝公旗掛松』の石碑

源頼朝上洛途中に旗を松の木に掛けて休憩したという言い伝えらしく

 

 

そうなの?

この松の木は900年近く前からあるってこと?

 

石碑は文字の彫りが薄く読みにくいし

古そうではありますけど?

 

柵で囲われ、石碑や松の木の後ろは池で

池のほとりでは爺さま達が楽しそうに釣りしてました。

 

いつだれが

どんな経緯で設置したでしょうかねえ

 

気持ち揺さぶられる謎ポイントの前で途方に暮れながら

火のない所に煙は立たないともいいますよねえ

 

旗掛けが事実かどうかは置いといて(無礼なっ)

このあたりに源頼朝伝説の証拠物件あることわかり大収穫。

 

はい、鑑識の証拠写真風で映えなくても

これでいいんですってば。

 

 

 

熱田神宮近くの『右大将頼朝公誕生當地』に続くような

葵の御紋の圧で無理を通す印象なくもないけど考えすぎかも。

 

呼続公園の西側はゆるい下り坂で

昔々は呼続浜と呼ばれた海

 

公園内には湧水もあり

今でも湧水が出ているようで

 

 

看板のある道の奥が湧水の出る湿地らしく

地殻に含まれる鉄分が湧水に染み出し空気中の酸素と触れて赤茶色になったとか。

 

道がぬかるんでるし

湿気もすごく、くらくらして奥まで行けませんでした。

 

たぶん縄文・弥生のころは豊富な水量で

海近く湧水あり住いの条件ぴったりの好立地だったかもしれませんね。

 

 

公園を出て信号を渡り北に向かい坂道を上って行くと

新緑が鮮やか、若葉の青々しいにおい漂う

 

白毫寺(ビャクゴウジ)です

 

 

1571年創建、曹洞宗とのこと。

源頼朝が上洛途中に休んだ桟敷山とのいわれもあるらしく

 

昔々は松巨島の北西部の高台となっていて

熱田から鳴海に広がる年魚市潟(アユチガタ)を見下ろす景勝地だったそう。

 

 

境内に『年魚市潟勝景』の石碑ありました。

 

白毫寺近くは海で舟着場があり

熱田へ舟で向かうこともできたようです。

 

 

万葉の歌

「年魚市潟潮干にけらし知多の浦に朝漕ぐ舟も沖に寄る見ゆ」

 

年魚市潟は江戸時代ころから埋め立てられ

今は民家や商店・会社事務所などが密集していて

 

昔は海だったなど言われても何だかねえ

イメージできないこの頃の事情が悲しいような虚しさ漂います。

 

 

よれよれ歩きましたわよ。

 

 

藤の花が咲き始めていました。

 

 

曽池の噴水

池の睡蓮の花咲く頃も見事らしいです。

 

 

富部(トベ)神社の西隣が

呼続公園で

 

北側に山崎川

 

 

西側は海、南へ行くと天白川

その間が松巨島(マツコジマ)ですよね。