前回に続き

猿投(サナゲ)神社につながること、つらつらと。

 

今は住宅地で面影しのぶことも難しいですが

江戸時代かもっと前か?あいまい

 

 

昔、星宮社の南、氷上姉子神社の北が海で

星崎の浜とよばれていたころ

 

三河国三宮・猿投神社の垢離(コリ)場が

近くにあったといわれ

 

「猿投神社の遷宮式では遷宮の前日に神官が𡉴離場に赴き

 西宮遷宮の時は牛毛村浜辺の垢離場で垢離を為し

 東宮遷宮の時は鳴海村の蘆の池で垢離を為す」との伝承。

 

ふむー

牛毛村の浜辺とは現在の天白川付近と思われ

当時は星崎の浜の一部だったと推測しておるのです。

 

垢離(コリ)は禊のようなもの

神仏習合的な表現でしょうかね。

 

天白川を間に

西と東に垢離場があったとしたら

 

           ↑   ↑    星宮社 氷上姉子神社

     西宮𡉴離場?  東宮垢離場?

 

垢離の場所を推定してみました。

はるばる猿投山から星崎の浜辺まで垢離にわざわざ?

 

三河国も海に面しているし

尾張国まで来て垢離する必要ある?

 

つべこべ言われる筋合いねぇと返されたら

なんも言えねぇぇ

 

塩ロードだったかもしれないけど

三河国でも塩の生産していたでしょうし。

 

ほかには

猿投山は埴輪の生産地だった説があり

 

尾張型埴輪=猿投型円筒埴輪を生産して

尾張国に運んでいたのでしょうか。

 

信濃の伊奈街道へ通じる道でもあったようです。

往路は塩、復路は埴輪や土器を運んでいたのか。

 

猿投山で活動していたのは

尾張氏関係の氏族なのかもしれない。

 

猿投山の墓(円墳)が

尾張氏など地方豪族なら納得なのですが

 

大碓命なんですよね。

そうなんです、大碓命。

 

なにしに?

猿投山付近を開拓するため美濃から遠征との説あり

 

がしかし、三河山間部で山が連なっている地域ですし

開拓しても農地になりそうもないですよね。

 

 

さて、名古屋市内に猿投町(サナゲチョウ)の地名があり

猿投明神を祀っていたともいわれ

 

今は神社も見あたらず

どういうことかわかりませんが気になります。

 

おぼろげですが

猿投山と熱田、星宮社、氷上姉子神社つながりがあり

 

平安時代末頃から江戸時代のできごとが

明治時代に覆されたのかもしれない。

 

なんのために?

隠したいことでもあるの?

 

ふむむー